アクセスカウンタ
プロフィール
カズヤ
カズヤ
その昔、某銃器専門月刊誌のライターと、某エアガン専門店での開発、販売を兼務。その後、某出版社に誘われ、エアガン関連ムックの編集に携わる。さらに後、某エアガンメーカーに誘われて入社と、80から90年代にかけて、エアガン業界にどっぷりつかった人生を送るが、ある理由により業界から撤退。
そして2012年、再び鉄砲業界に返り咲き、Gunsmith BATONに入社。充実した日々を過ごす中、2014年には人生初の渡米を果たし、憧れのイチローさんの下で、夢だった実弾射撃をついに体験! もはやこの人生に一片の悔いも無い、52歳の初老ガンマニア。

読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 25人
QRコード
QRCODE

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2012年01月17日

エアガンシューティングとの因縁 その4

本日は更新をお休みするつもりだったのですが、
ミリブロランキングのエアガンシューティングと
エアガンコレクターのカテゴリーにおいて
それぞれ10位以内に食い込んだのを見て、
ちょいと欲が出てしまいました(笑)

マグプルも海兵隊も、M4もAKも、
もちろんお色気なども無く、
旬なネタなど一切扱わないこんなブログが
ランキングの上位に顔を出すなんて、
ちょっと小気味良いではありませんか。

思いっきりUZIの話しだった昨夜の記事で
案の定アクセス数がガクッと
落ち込んでいたのはともかくとして(涙)
今回はあまり長くならない程度に、
昔の話を書かせていただこうと思います。

さて、本日朝一番の佐川急便にて無事に届きました
1986年のコンバットマガジンの欠落分。



ちなみにこれらの本は、ネットで見つけた
通販ショップの駿河屋さんにて購入しました。

1冊280円と適切な価格で程度も良く、
合計1000円以上購入したことで送料も無料と
なかなかに良い買い物が出来ましたので、
同種の古本をお探しの方がいらしたら、
覗いてみてはいかがでしょうか。

到着したバックナンバーをパラパラと眺め、
そうそう、こんな記事があったよな~と
感慨にふけっていたのですが、
資料として真面目に読み込んでいくにつれ、
なんとも不可解な事実が見えて来ました。

同年5月号に掲載されていた
第4回プラチナカップ開催のお知らせによれば、
開催日時は1986年4月13日となっています。



次の6月号は4月末の発売なので、
入稿のタイミング的に考えると
マッチの記事は載るはずがありません。

そのため、古本を探してまで
欠落していた7~11月号(10月号は実家で発掘済み)
を入手したわけなのですが、
絶対に掲載されている筈の7月号をはじめ、
どの号を隅々まで読み込んでも、
第4回プラチナカップの記事は
一行たりとも書かれていないのです。

何故か第4回大会の記憶が欠落していたのは、
このことも一因だったかもしれませんね。

それにしても、あのGun誌が後援に付き、
主要メーカーさんの協賛もあって開催された
あの大掛かりなイベントが、
主催側であるCM誌上で黙殺されているなんて、
そんな馬鹿な話しはありません。



大会前後のバックナンバーを
もう一度隈なく探ってみたところ、
これは実家に残っていた1986年6月号の
モデルガン・エアーガン入門コーナーに
こんな文章を発見しました。



その一部を以下に転載します。

「プラチナカップでの成績はどうだったかな?
 第4回はガスガンの部門も新設されたので
 熱が入ったと思うんだ」


この原稿が締め切りを大幅にオーバーして
執筆された物だったとしても、
4月13日の大会本番以降に書かれた文章だとは
ちょっと考え難いものがあります。

つまりは、第4回大会の成功を見越して
あらかじめ書かれていたのだろうと思うのですが、
その後の号に一切の記述が見当たらないのは
一体どういうことなのでしょうか。

あまりに不可解な事実に混乱しながらも、
当時の記憶を必死で手繰りつつ
大会前後のCM誌を繰り返し読んで行くうちに、
その原因が朧げながら浮かび上がって来ました。



上述した一文と同じ1986年6月号に掲載された
上の2ページの広告・・というより、告知ですね。
ここにすべての謎を解く鍵が
秘められていたように思うのです。

といったところで、話は次回に続きます。

どうだい? 面白くなって来たろう??
ヒュー!!

  

Posted by カズヤ at 20:52Comments(5)シューティングマッチ