アクセスカウンタ
プロフィール
カズヤ
カズヤ
その昔、某銃器専門月刊誌のライターと、某エアガン専門店での開発、販売を兼務。その後、某出版社に誘われ、エアガン関連ムックの編集に携わる。さらに後、某エアガンメーカーに誘われて入社と、80から90年代にかけて、エアガン業界にどっぷりつかった人生を送るが、ある理由により業界から撤退。
そして2012年、再び鉄砲業界に返り咲き、Gunsmith BATONに入社。充実した日々を過ごす中、2014年には人生初の渡米を果たし、憧れのイチローさんの下で、夢だった実弾射撃をついに体験! もはやこの人生に一片の悔いも無い、52歳の初老ガンマニア。

読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 25人
QRコード
QRCODE

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2012年01月18日

エアガンシューティングとの因縁 その5

昨夜の記事は思ったほどのアクセスが無く、
辛辣なコメントもいただいてしまい、
今日はちょっとばかりへこんでおります。

ランキングが上昇したことで、
どこか調子に乗っていたんでしょうかね・・(汗)

しかし、書きたい話しのテーマが
まったくブレていないのは間違いありませんので、
前回の続きを粛々と進めさせていただきましょう。

一応お断りしておきますが、
第4回プラチナカップは1986年4月13日に
間違いなく開催されました。
これは私の夢でも妄想でもありません。

少々話が前後しますが、1986年8月号の
エアーガンテストレポートの中で、
「プラチナカップも無事に終えることが出来」
といった記述を見つけることが出来ました。





たったこれだけというところが何とも・・・

と、話しを最初に戻しますが、
第4回大会を終えた4月末発売の
コンバットマガジン6月号に、
前回もご覧いただいたエアガン業界からの
告知ページが掲載されたのです。



ひとつは「日本モデルガン製造共同組合」からの告知。
もうひとつは「エアーソフトガン協議会」の告知です。

この二つの団体は異なるメーカーによって組織され、
それぞれが独自の安全基準を設けて、
発売するトイガンに自主規制を課していました。

つまりはこの時期、トイガン業界が
上の画像の見開きページが象徴するかのように、
真っ二つに割れていたというわけなんですね。

画像では各々の所属メーカーの名前を伏せましたが、
第4回プラチナカップに協賛してくれたメーカーさんが
この二つの団体へと見事に分かれていました。

これにより会場の様子を報じることが、
広告収入を得ている雑誌媒体としては
不適切になってしまったのではないか・・・

当時一介のライターでしかなかった私には、
漏れ伝わって来た噂を元に推察することしか出来ませんが、
第4回プラチナカップが事実上
「無かった」ことにされてしまったのは、
こういった事情が絡んでのことだったと思われます。

悲願だったプラチナカップのメジャー化の達成を
こんな形で握りつぶされてしまったK氏の想いは、
この時どんなものだったことでしょう。



そして開催そのものが一切触れられなかった
コンバットマガジン1986年7月号に、
こんな業界団体の告知が掲載されます。



「この2つの団体は合併することになり
 今後『日本遊戯銃協同組合』の名称で」云々・・

早い話しが、業界内部のいざこざにケリが付き、
分裂騒動が治まったという話しですね。

これを皮肉と言わずして何としましょう。
業界内部の暗闘がもう少し早く収まってくれれば、
いや、そもそもそんな諍いさえ起こらなければ、
あの大会が誌面から抹殺されることも
おそらく無かったでしょうからね。

ちなみに、同じ7月号に掲載された
マルゼンさんの広告ですが・・



この右隅の囲みのアップがこちらです。



私には<プラチナカップ公認>の文字が
空しく踊っているように見えてなりませんね。

・・・と、あれから25年が経った今、
こうして振り返ってみれば、自分の中の
第4回プラチナカップに対する気持ちが、
幾分変化していることに気が付きました。

それについては、この因縁話を終える時に
改めて触れてみようと思います。

さて、このようにして
当時のコンバットマガジンからは、
あの狂騒の後楽園ホールの模様を知るのは
ほぼ不可能であることが判明したのですが、
ここで思わぬところから
強力な援護射撃が飛んで来ました。

前回記事に痛烈なコメントを書き込んでくれやがった(笑)
30年来の付き合いになる鉄砲仲間のだぶー君が、
当時の様子を知ることが出来る
貴重な情報を提供してくれたのです!

それについては次回の記事で。
因縁話、今しばらくは続きそうです(汗)  

Posted by カズヤ at 20:15Comments(2)シューティングマッチ