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カズヤ
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その昔、某銃器専門月刊誌のライターと、某エアガン専門店での開発、販売を兼務。その後、某出版社に誘われ、エアガン関連ムックの編集に携わる。さらに後、某エアガンメーカーに誘われて入社と、80から90年代にかけて、エアガン業界にどっぷりつかった人生を送るが、ある理由により業界から撤退。
そして2012年、再び鉄砲業界に返り咲き、Gunsmith BATONに入社。充実した日々を過ごす中、2014年には人生初の渡米を果たし、憧れのイチローさんの下で、夢だった実弾射撃をついに体験! もはやこの人生に一片の悔いも無い、52歳の初老ガンマニア。

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Posted by ミリタリーブログ at

2012年01月11日

エアガンシューティングとの因縁 その2

フリーダム・アート通信のリンクを辿って
ご来訪くださった皆様、はじめまして!

46歳にもなって突然シューティングマッチを始めた
ポンコツシューター出二夢(でにむ)カズヤが
お送りしております当ブログ。

普段はかの名銃、UZI(ウージー)のエアガンを中心に
他では読めない記事作りを目指しているのですが、
昨年末に横浜PCMで開催された
Yokohama PMC 11thに参加したことを機に、
素人目線の参戦記を書かせていただいております。

こうしてご来訪くださったのも何かの縁。
今後も時々覗きに来ていただけたら幸いでありますです。

ところで前回の記事を書いている最中、
こんな昔話など公開したところで誰も喜んではくれないだろうと
本気で考えていたのですが、更新してみてビックリ仰天。

かつて無いほどの勢いでアクセス数が伸びて行き、
これも過去最高数になる暖かいコメントを
頂戴することが出来ました。

まったく想像していなかった事態に
心底驚いているような状況なのですが、
いやはや、市場のニーズを正確に掴むというのは
実に難しいことであるものですね。

しかしあんなに真面目に取り組んでいる
UZIのレポートよりも、単なる思い出話の方が
遥かに多くのアクセスをいただけるというのは、
なんとも複雑な心境だったり・・・(汗)

と、長い前置きはいい加減これくらいにして、
前回の続きを進めて行きましょう。



上の画像はコンバットマガジン1985年11月号の表紙ですが、
前回の最後にご覧いただいた第3回プラチナカップの記事は、
この号に掲載されたものでした。



本項の趣旨とはほとんど関係ありませんが、
右ページ中段、マルシンさんのモデルガンのUZIで
ライトウェイトボルトを使ったフルオート射撃を
実演しているのは、若き日の私でございます。
この頃からUZIひと筋でしたからねぇ、ウフーフ!

しかし我ながらこの頃は細かった!
今より20kgは体重が軽く、体力は10倍以上、
髪の毛も今の100倍は生えていましたもんね・・(涙)

・・話しを戻して、第3回プラチナカップ。

事前の告知をどの程度打ったものか
現在手元にある資料ではわからないのですが、
1985年8月24日のイベント当日は、
後楽園ホールの会場から文字通り
人が溢れるほどの来客数となりました。

手元の記事には「出場者数は約100名」
と書かれていますが、おそらくこれは
純粋にマッチに参加した人数でしょう。



私の記憶が定かであれば、
見物に訪れた方の数を合わせたら、
ざっと2~300人は集まっていたと思います。

何しろ、決して狭くはない後楽園ホールの会場から
廊下や階段にまで人が溢れ出し、
一時は入場制限をかけたような状況でしたからね。

ちなみに、今は無きMGCの主催による
かの有名なジャパンビアンキカップの、
エアガンコースを導入した第2回大会が
同じ1985年の11月開催でしたから、
この第3回プラチナカップは、
事実上国内初の、エアガンを使った本格的な
シューティングマッチだったと言えるでしょう。

箱出しのグルーピングは5mで30cmにもなり、
1発撃つたびにスライドを押し込んで
ピストンスプリングを圧縮するという、
まだオモチャの鉄砲の域を出ていなかった
コッキング式エアガンでの「的当て大会」。

これをシューティングマッチとして
強引に成立させてしまった観は否めないものの、
興奮のうちに進められたマッチの入賞者も決まり、
協賛各社から提供された多くの商品が配られ、
K氏の純粋な熱意から企画された
第3回プラチナカップは、ひとまずの成功を収めました。

そして当時の私、比出無カズヤはこの日を境に、
シューティングマッチに関する全ての事が
心の底から嫌いになったのです。


話しは次回に続きます。  

Posted by カズヤ at 20:55Comments(3)シューティングマッチ