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カズヤ
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その昔、某銃器専門月刊誌のライターと、某エアガン専門店での開発、販売を兼務。その後、某出版社に誘われ、エアガン関連ムックの編集に携わる。さらに後、某エアガンメーカーに誘われて入社と、80から90年代にかけて、エアガン業界にどっぷりつかった人生を送るが、ある理由により業界から撤退。
そして2012年、再び鉄砲業界に返り咲き、Gunsmith BATONに入社。充実した日々を過ごす中、2014年には人生初の渡米を果たし、憧れのイチローさんの下で、夢だった実弾射撃をついに体験! もはやこの人生に一片の悔いも無い、52歳の初老ガンマニア。

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Posted by ミリタリーブログ at

2012年04月17日

乙夜嬢とGunsmithバトンアキバ店

おそらく、いや間違いなく、今回の記事は
大変なアクセス数になることでしょう。
まずは下の画像をばご覧ください。


 乙夜さんの隣でニヤける見苦しいオッサンは私です。

どうだい? うらやましいだろう!?

こちらの画像は、去る4月15日に、
ミリブロを閲覧している皆様ならご存知であろう
Gunsmithバトン アキバ店にて撮影されたもの。

撮影前日にオープンしたバトンアキバ店の
1日店長(実際には2日間)を務められた乙夜さんが
任務を終えて着替えられる直前に、
無理にお願いして撮らせていただいた
個人的にとっても貴重な1枚なのです。

で、何故に私がバトンアキバ店で
乙夜さんと記念撮影をしているかと言いますと・・



上の画像は、我々ミリブロガー全員が
日ごろお世話になっている
ミリタリーブログさんの
「Gunsmithバトン アキバ店、新店舗レポート」からのスクリーンショットなのですが、
画像中赤い矢印で指しているスタッフ。
これが何を隠そう私、出二夢カズヤなのです。

そーなんですよ奥さん!(?)
恥ずかしながら私、バトンアキバ店の
スタッフ見習いとして働くことになったのですよ。

実は先日の葉隠マッチM-1においても、
Gunsmithバトンのロゴが入ったシャツを着て
本番を戦っていたのです。



本来ならばバトンでチューンした
中華エアガンで参戦するべきだったのですが、
あくまで休日の個人的なエントリーだったので、
マイUZIを使っていたという次第です。

と、まぁ私のことなどどうでも良いんですわ。
今回書きたいのは乙夜さんのことなのです。



上の画像もミリブロさんの記事からの
スクリーンショットです。

せっかく同じ店内で側近くにいながら、
オープン初日と二日目のあまりの忙しさで
乙夜さんの店長姿がほとんど撮れず(泣)

13日のプレカンファレンスの時に
携帯で撮った画像はいくつかあるのですが、
取材陣に遠慮しながらの撮影なので、
あまり良い写真とは言えず・・



仕方ないとは言え、もったいないことをしたもんです(涙)

皆様ご存知の通り、我がGunsmithバトンは
ネットでも紙媒体でも、広告のイメージキャラクターに
乙夜さんを起用しております。


 画像はバトン's blogより

今となっては恥ずかしい話しなのですが、
正直私、乙夜さんご本人とお会いするまでは、

「ミリドルだか何だか知らないけど、
 狭い業界で人気があるからって、
 ちょっと天狗になってんじゃないの?」

そんな風に考えていました。

実際、1日店長として乙夜さんが
フロアに立たれていた時も、
どんな人物なのか見極めてやろうじゃないかと、
そんな視線で斜めに見ていたのです。

その結果はっきりとわかったのは、
己の矮小な人間性でしたよ。

乙夜さんという方は、本当に素晴らしい女性でした!!



バトンスタッフとして上から言わされているわけでは
決してありませんので念のため。

アキバ店オープンの14日から15日の2日間を
お側近くで拝見しただけではありますが、
お客様への親切で控えめなご対応の姿勢だけでなく、
我々裏方に対する細やかな気配りの数々。

メディアで公開されているワイルドなイメージからは
まったく想像出来なかった繊細なお人柄に触れ、
アキバ店店長の今井をはじめ、
スタッフ一同すっかり魅せられてしまった次第です。



常にミリブロトップランカーでいることも、
鉄砲業界に熱烈なファンが多いことも、
我が社のボスが強力にプッシュする理由も、
すべてがストンと納得出来ました。

何度でも言います。

乙夜さんは本当に素晴らしい女性です!!

いつかこのブログ用に、
私のカスタムUZIを構えた写真を
撮らせていただきたいですね~。

ブログ用と言うよりも、
私個人の宝物としての意味合いの方が
強くなっちゃいますけどね(笑)

そんなこんなで私、出二夢カズヤは今後、
ミリドル乙夜嬢を全力で応援して行く所存であります。

元々のファンの皆様におかれましては、
今後ご指導ご鞭撻のほど、
何卒よろしくお願いいたします!



以上、当ブログ常連の皆様は突然の展開に
ビックリされたことと思いますが、
乙夜さんの大ファンになった話しのついでに、
私のバトンアキバ店スタッフ就任のお知らせを
こそっとご報告させていただきました。

基本的に毎週土日は店舗の方に詰めておりますので、
秋葉原にお越しの際には、是非ともお立ち寄りくださいませ。

残念ながらUZIは販売しておりませんが、
UZIのお話しならたっぷりご披露出来ますので!


 スタッフ一同、ご来店をお待ちしております!!  

Posted by カズヤ at 22:56Comments(5)業界裏話

2012年01月16日

80年代トイガン業界裏話 その3

さてさて、今回こそはの完結編。
前置き無しでさっそく話しを進めましょう。



話しがさらに遡るのですが、
上の画像はざっと30年ほど前、
当時流行っていたS.F.P.D.のシャツに身を包み、
買ったばかりのマルシン製UZIをぶっ放す
おそらくは高校生だった頃の私の姿であります。

撮影したのは、たまにコメントしてくれる
地元の鉄砲仲間のだぶー君(だったよね?)。

ちょっと判り難いかと思いますが、
空中の2発に加えて右手に2発、顎のあたりに1発と、
合計5発のカートリッジが写りこんでいます。



なんだか心霊写真の強引な解説みたいですが(笑)
UZI本体をかなり左側に傾けて撃っているのは、
少しでもカートリッジを遠くに飛ばそうと
健気な努力をしているわけですね。

また、ノーマル状態のUZIは、
亜鉛の塊であるボルトの過剰な重さのため
1発撃つと2発撃ったような音がしたものでした。

コッキング位置から前進してカートリッジ内の
キャップ火薬が発火するのですが、
この時のボルトの激突音と発火音が混じって1回。
そしてブローバックしたボルトが
レシーバー内部の後ろ面に激突する音でもう1回。

これを擬音として表すと「バタコ!」といった感じでしょうか。
「バ」が発火音、「タ」がボルト後退時の激突音。
最後の「コ」は、ボルトがシアーにかかる音です。

明らかに2発分の音がしたのに、
カートリッジがポロリと1発だけ排莢される様は
ちょっとシュールな光景でしたね(笑)

フルオートで撃った時も、作動は快調なのですが、
「バタバタバタバタバタバタコ!!」これで6発。
何だか慌てたジャムおじさんみたいですが、
なんとも緩慢な作動でした。

しかし、重いボルトの作動が生み出す
全身が揺さぶられるようなリコイルと、
そのスローサイクルなフルオートは、
それはそれで最高に気に入ってましたけどね。


 上で撃っていたモデルガンのUZIです

ここで1985年に話しを戻して・・
締め切りを2日ほどオーバーして出来上がった
無発泡ウレタン製のボルトの複製品は
「ライトウェイトボルト」と名付けられ(そのまんまですが)、
リコイルスプリングの調製に手間取ったものの、
最後には見事なフルオート作動が成功しました。



上はコンバットマガジンの記事に掲載された写真。

切り抜きになっていて台無しではあるのですが(涙)
先にご覧いただいた30年前の写真と較べ、
カートリッジがより高く舞い上がっているのが
はっきり写っていますよね。

実際に撃った感じも「タタタタタタッ!!」と、
6回の撃発音でキッチリ6発のカートが飛び出し、
その勢いも飛距離もノーマルの数倍に達していました。

ボルトが軽くなったことにより
あの重々しいリコイルの迫力は薄れたものの、
カートリッジの変形という最大の弱点は見事に解消され、
ワンマガジン二十数発をジャム無しで一気に撃てるという、
まさにパーフェクトなUZIとしての完成を見ました。



後に第3回プラチナカップの会場で
このライトウェイトボルトの実演を行ったわけですが、
上の写真でもカートリッジが勢い良く蹴り出されているのが
おわかりいただけるかと思います。

実演本番でも見事快調に作動してくれたのですが、
さすがに覚えている方はもういないでしょうけどね~。

いわゆる大人の事情で提灯記事になることもあった
当時のテストレポートにおいて、
大好きなUZIのモデルガンを取り上げ、
何の制約もなしに作ることが出来たこの記事は、
実に思い出深い1本になっています。


そして、この記事を書いている2012年現在。



上画像は以前、マルシン電動UZIの記事で
比較用に撮影したモデルガンのUZIですが、
そのライトウェイトボルトがまだレシーバーに
納まっているのがおわかりいただけると思います。

徹底したメンテナンスのおかげで、
UZI本体のコンディションには何の問題もないのですが、
無発泡ウレタンという素材が経年劣化を起こし・・・

その姿はあまりに忍びないため
非公開とさせていただきますが、
かの伝説のライトウェイトボルトは、
レシーバーの中で無残に砕けておりました。



10年ほど前に実家で撮影した上の画像では
まだボルトが割れていないので、
ここから今年までの間のどこかで
人知れず崩壊していたわけですね・・・(涙)

ちなみに、昨日のコメントでT2氏が書いてくれた
「今の技術でもう一度作りたいか?」についてですが・・

「また作りたいし、もっと上手く作れる自信はあるけれど、
多分もう作ることは無いだろう・・」

というのが正直なところですね。

今ではシリコンの価格も当時の半分以下だし、
その手の特殊材料がネット通販等で簡単に
入手出来るようになりました。


 同種の物が当時のほぼ半額!

しかしそれとは逆に、肝心のモデルガンUZIのパーツ、
とりわけカートリッジの入手が困難になり、
そこらの空き地で火薬を使って気軽に撃つということも、
社会的に許されない状況となっています。

学校が終わって帰宅するなりモデルガンと火薬を引っ掴み、
近所の原っぱに集まってバンバン撃ちまくっていたあの時代・・
年寄りの常套句ではありますが、
「昔は良かった」そのひと言に尽きますよね。

以上、ライトウェイトボルト製作記事の裏話はこれにて終了。
ひさしぶりにUZIの話しをたっぷり書けて大満足です(笑)
アクセス数はあからさまに落ち込みそうですけどね(汗)

例の古本屋さんに注文したCM誌バックナンバーも、
先ほど入金確認と発送手続開始のメールが来ましたので、
2~3日中には手元に届くと思います。

中断していたエアガンシューティングとの因縁話しは、
当時の記事と自分の記憶を照らし合わせた上で
再開しようと思いますので、今しばらくお待ちくださいませ。

最後に昔話をもうひとつ。

この時の記事で、
ライトウェイトボルトのプレゼント企画を行い、
かなりの数のハガキをいただいたのですが、
手元にあるこの号に、下のハガキが挟まってました。



楽しいイラストと文章を書いてくれて、
是非ボルトをプレゼントしたかったのですが、
この人、自分の住所を書き忘れているんですよね~。
名前だけ明記されているところがまた何とも・・・(涙)

もうボルトを差し上げることは出来ませんが、
心当たりのある方がいらしたら、
是非名乗り出ていただきたいですね。

と、いつもの2回分ほどのボリュームになってしまいましたが、
皆様お楽しみいただけましたでしょうか。

次回の内容は今のところ未定です。
バックナンバー到着のタイミングによって、
因縁話を再開出来るか、業界裏話でお茶を濁すか・・(汗)

いずれにせよ、今の私はネタの宝庫ですので、
ちょっとだけ楽しみに次回をお待ちくださいませ!  

Posted by カズヤ at 21:48Comments(5)業界裏話

2012年01月15日

80年代トイガン業界裏話 その2



さっそく前回の続きをお話ししようと思うのですが、
昨夜の記事のあまりの反響の大きさに
心底ビックリしている次第です。

この文章を書き出した今の時点で、
PV総数が・・うわッ!? 
なんと500を超えてるじゃないですか!

ほんの間つなぎのつもりで書いた昔話が
こんなにも注目されるなんて、
完全に想定外で困惑するばかりなのですが、
20年以上前の業界裏話などを読まされて、
みなさん・・面白いですか?


 神無月さん最高!

陽水ボイスでお読みください(笑)

まぁ、当ブログ本来のテーマである
UZIの話題でもありますし、ここは開き直って
自分語りを続けさせていただきますね。

さて、シリコンを使って
複製用の型を作ることになったわけですが、
ドクターあみーご氏もおっしゃっていたように、
この頃はシリコンゴムでの複製は
それほど一般的なものではなく、
必要な材料もかなり高価で、
なかなかに手の出しにくい技法でした。



この企画で使用した東芝シリコーン製の
高強度シリコンゴムなどは
1kg9500円という驚くべき価格で、
とても素人に手の出せる代物ではなかったのです。

では何故当時の私がそんな技術を持っていたかというと、
趣味の模型作りにおいて、もうちょっと安目の
引裂き強度の低いシリコンゴムを使って、
自作パーツ(具体的にはザクのスパイクシールドや
VF-1バルキリーのノーズ)の複製を
細々と試していたからなんですね。

そのため、UZIのボルトのような大物の複製は
まったくの未経験で、高価な高強度シリコンを使うのも
この企画が初めてのことでした。
会社の経費だったとはいえ、
大胆なことをやらかしたもんです(汗)



ご紹介している画像のページが前後しておりますが、
今になって振り返れば、こんないい加減な手法で
よくもあの複雑な型取りを成功させたものだと、
我ながら呆れるやら関心するやら・・・(汗)

実際この時、粘土で作った最初の型の外壁が
流し込んだシリコンゴムの重みに耐え切れずに決壊し、
高価なシリコンがでろーんと流出。
ケンの部屋の絨毯を台無しにしてしまいました。

「ああ・・ゴメン、絨毯に付いたシリコンはもう取れないな・・」

そう言って謝る私に、

「いや、絨毯は全然かまわないけど、締め切りが・・・」

見るも無残に失敗したシリコン型を前に
呆然と立ち尽くすケンの姿は、
今思い出しても笑・・いや、笑っちゃイカンですな(汗)



その後、高価なシリコンを再び購入。
外壁の固定方法を見直して新たに型を作りなおし、
なんとかボルトの複製品は出来上がりました。

ただ前述しました通り、
極めていい加減な方法で型を製作したため、
抜き上がった複製品はかなり形が歪んでおり、
UZIのレシーバーとの擦り合わせに
一晩の徹夜作業を要することとなります。

掲載誌の発売日から逆算すると、
ボルトを作ったのは2月の後半あたりだったでしょうか。

レポートではさらりと作ったように書かれていますが、
部屋の中でもコートが必要なほど寒い、
暖房器具がコタツしか無かったケンの安アパートで、
夜中にガタガタ震えながらひたすら擦り合わせを行い、
ほとんど泣きながら完成させたというのが実情でした(涙)



と、涙なくしては語れない話しが続いていますが、
この先を書き進めていたところ、
完成した軽量ボルトの実際の動作についての話しが
これまたけっこうな長さになることに気付きました。

どうしてこう簡潔な文章が書けないものかと
毎度ながら自己嫌悪に陥ってしまうのですが・・
ホント、大変申し訳ございません。
この話し、もう1回だけ続けさせていただきます。

次回こそ、今度こそ本当に完結させますので、
もう一晩だけお付き合いのほど、
何卒よろしくお願いいたしますです。

なんだか下手な口説き文句みたいだなぁ・・(汗)  

Posted by カズヤ at 21:42Comments(4)業界裏話

2012年01月14日

80年代トイガン業界裏話 その1

本日はシューティングマッチとの因縁話を離れ、
ちょいと寄り道させていただきます。

エアガンシューターなら知らぬ者はいない
かのフリーダム・アート主宰ドクターあみーご氏のブログ
フリーダム・アート通信にて当ブログを大きく取り上げていただいたことで、
ここ数日PV数が急上昇しております。


 ドクターあみーご激射!

この状況にちょっと戸惑っているのが
正直なところなのですが、
せっかく閲覧に訪れてくださった皆様に
少しでもお楽しみいただけるような
記事作りを目指して頑張りますので、
今後も当ブログを何卒よろしくお願いいたします。

さて今回のお題なのですが、
フリーダム・アート通信にてドクターが
特に印象に残っていると書いてくださった、

「マルシンのモデルガンUZIのボルトを軽量化の為に
シリコンで型取りして樹脂で複製する話」

その記事を書いた当時の、
ちょっとした裏話をご披露したいと思います。

シューティングマッチの因縁とは
ほとんど関係ない話しになりますが、
前回書いた古本屋さんへの注文も
先ほど在庫を確保した旨の通知が来ましたので、
ブツが届くまでの間つなぎの意味も含めて、
お付き合いいただければ幸いであります。



上の画像はコンバットマガジン1985年6月号の表紙。
この号は第1特集がタローさんによる
UZIカービンの実銃レポートでした。



そして、衝撃の見開きページから始まる
第62回モデルガンテストレポート。



夜明け前の新宿副都心にて撮影された
K氏渾身のイメージカットは、
今見ても鳥肌もののカッコ良さですねー。



漆黒のライダースジャケットに身を包み
ターミネーターを演じた長身のモデルは、
断末魔三兄弟の長兄こと多輪葉ヨシカズ。

残る二人は江呂場テツヤと比出無カズヤを
名乗っておりました(笑)

この号が発売されたのは、
かの傑作B級映画「ターミネーター」の
第1作目が公開されて間もない頃。

実際に記事を書いた時点では
まだ劇場公開はされていませんでしたが、
有名なUZI片手撃ちシーンのイメージは
公開前からマニアの間で話題になっていました。



発売されてからかなり時間が経っていた
マルシンさんの金属製モデルガンのUZIを
このタイミングで取り上げていたのは、
そういった時代背景があったからなんですね。



しかし、いかにターミネーター絡みとはいえ
通り一遍のレポートで済ますわけには行かないと、
K氏の・・まぁ、ここではケンでいいですな(笑)
彼の安アパートで企画会議が行われました。

このマルシンさんのUZIは、
プラグファイヤーカートリッジの採用により
金属製モデルガンとしては信じがたいほどに
快調なブローバックを実現させていたのですが・・


 これがプラグファイヤーカートリッジです

撃発の度に重い亜鉛のボルトで
チェンバーに叩き込まれる構造のため
高価なカートリッジの変形が避けられず、
なかなか気軽に撃てないという実情がありました。

「このボルトをなんとか軽く出来ればなぁ・・・」

分解して取り外したUZIのボルトを前に呟くケンに、

「シリコンで型を作って、ウレタン樹脂で複製すれば
 めちゃくちゃ軽くなると思うけど?」

と、何の気なしに言った私を唖然と見つめるケンの顔は
今思い出しても面白いですな(笑)

「・・・そんなことが出来るのか??・・・」

まさに信じられないといった面持ちのケン。

「まぁ、お金はかかるけど出来ると思うよ? やってみる?」

そんなやり取りから、
伝説のライトウェイトボルトの製作が始まりました。

と、いつものクセで長い話になっちゃいましたね(汗)
面白いと思ってくださる方は何人いらっしゃることか・・・

次回必ず完結させますのでこの話し、
もう1回だけお付き合いをお願いいたします。  

Posted by カズヤ at 23:02Comments(9)業界裏話