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カズヤ
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その昔、某銃器専門月刊誌のライターと、某エアガン専門店での開発、販売を兼務。その後、某出版社に誘われ、エアガン関連ムックの編集に携わる。さらに後、某エアガンメーカーに誘われて入社と、80から90年代にかけて、エアガン業界にどっぷりつかった人生を送るが、ある理由により業界から撤退。
そして2012年、再び鉄砲業界に返り咲き、Gunsmith BATONに入社。充実した日々を過ごす中、2014年には人生初の渡米を果たし、憧れのイチローさんの下で、夢だった実弾射撃をついに体験! もはやこの人生に一片の悔いも無い、51歳の初老ガンマニア。
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2012年01月21日

エアガンシューティングとの因縁 その7

さて、ちょっと更新が遅くなりましたが、
何をどこまで、どのように・・と悩みつつ、
前回の続きを書いてみました。

あの大会に関してお見せできるような写真等は
さすがに一切残っておりませんので、
私のハイキャパカスタムの画像を交えて
話しを進めさせていただこうと思います。

以前掲載したものよりほんの少しだけ
まともに写せたかな~と思いますので・・



さて、ここから本題に入ります。

エアガンのイベントとしては異例とも言える
2000人(Gun誌情報)もの来場者を集め、
大盛況のうちに終了した第4回プラチナカップ。

手元の資料によれば、この年の11月に開催された
ジャパンビアンキカップの出場者総数は219名。

単純に比較出来るものではありませんが、
少なくとも1986年のこの時点において
第4回プラチナカップは、
国内最大規模の集客を果たした
シューティングマッチだったと言っても
決して過言ではないでしょう。



しかし、主催であるプラチナカップ実行委員会・・
実質的にはK氏を中心とした
身内の数人の集まりでしたが、
この大会がここまでの規模になることを
まったく想定出来ていませんでした。

前年に行われた第3回大会を、
決してスムーズとは言えないものの、
大きな失敗もなく終えられた自信が災いし、
「今回も何とかなるだろう」
といった程度の認識でいたのでしょう。

マッチの進行に関するミーティング程度は
行ったような記憶があるものの、
トラブルの発生を見越した対応策等は
まったく考慮されないままに
大会当日を迎えてしまったのです。



集められたスタッフは私をはじめ、
イベントを仕切るだけの経験も知識も
ほとんど持ち合わせていないただの素人集団。

そこに、協力を申し出てくれたと言って
当日の朝になってK氏が連れて来た
何人かの読者シューターの面々が加わり・・
十数人程度の数にはなっていたでしょうか。
まぁ、2000人を捌ける数ではありませんよね。

しかも、これははっきり覚えているのですが、
いよいよ開場直前というその時になって
K氏がこう言い放ちました。

「ワシは取材で撮影しなきゃならんから、
 今から責任者はカズヤ、お前な。」


イベントの全責任をいきなり押し付けられたのです。



あまりにも突然のことで頭の中は真っ白になり、
その後どうやってスタッフを配置し、
出場受付を始めたのか等が一切記憶に無いのですが、
恐怖の1日はこうして幕を開けました。


話しは次回に続きます。





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