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カズヤ
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その昔、某銃器専門月刊誌のライターと、某エアガン専門店での開発、販売を兼務。その後、某出版社に誘われ、エアガン関連ムックの編集に携わる。さらに後、某エアガンメーカーに誘われて入社と、80から90年代にかけて、エアガン業界にどっぷりつかった人生を送るが、ある理由により業界から撤退。
そして2012年、再び鉄砲業界に返り咲き、Gunsmith BATONに入社。充実した日々を過ごす中、2014年には人生初の渡米を果たし、憧れのイチローさんの下で、夢だった実弾射撃をついに体験! もはやこの人生に一片の悔いも無い、52歳の初老ガンマニア。

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2012年01月19日

エアガンシューティングとの因縁 その6

さて、今回は前置き無しで話しを進めます。

このところマメにコメントをくれている
中学時代からの鉄砲仲間のだぶー君と、
前々回の記事の内容についての話しで
直接メールをやり取りしていた中でのこと。

彼からのメールに、実に何気ない調子で

「Gun誌の6月号には優勝者も載ってたよ」

てな言葉がさらりと書かれているではありませんか!



”その4”にて、「あのGun誌も後援に付き」と
自ら書いていながら何故その発想が浮かばなかったか、
己の頭の固さにガックリと脱力しましたが(涙)
即刻だぶー君にお願いして、
そのGun誌の記事ページを画像で送ってもらいました。

だぶー君、感謝だぜ!!


 CM誌1986年8月号より 右がだぶー君 左は私

下がその第4回プラチナカップの記事ページですが、
そこには知りたかった情報がバッチリ記されていました。



4月13日に開催されたイベントの記事が
同じ月の27日発売の月刊誌に掲載されるというのは、
出版業界の常識からすると、
これはちょっと考えられない事態なのです。

この記事の掲載を見越して1ページ開けておいて、
印刷直前に原稿校了でブッ込んだ・・・
などと書いても、ほとんどの方には意味不明ですが(汗)
かなりのウルトラCによって掲載された
速報記事だということは間違いありません。

当時のGun誌編集スタッフに敬意を表しつつ、
以下に冒頭部分を転載してみましょう。

「エアーガンを使ったシューティング・マッチとして
 着実に成長し、人気を集めているプラチナカップの
 第4回大会が、4月13日、東京・後楽園ホール6階
 特設会場で行われた。
  会場には延べ2,000人にもなろうかという出場者と、
 見物客が集まり、5階の協賛メーカーのブースと共に
 大変なにぎわいだった。」


完全に一読者となって読んでしまいましたが、
「延べ2,000人」という来客数には驚愕のひと言。

会場のキャパシティを完全にオーバーしていたことは
はっきり覚えていたのですが、
それほどの人数が集まっていたとは・・・
なるほど運営が破綻したのも当然でしょう。


 中央でジャッジを努めているのは江呂場テツヤ君

上は記事の写真を拡大したものですが、
競技中のシューターの後ろでギャラリーが
すし詰めになっているのがわかりますね。

私の記憶違いで、第3回プラチナカップと
完全に混同していたのですが、
会場に入りきらないほど押し寄せた来場者が
廊下や階段にまであふれ出していたのは、
この時に起きた現実の出来事でした。

マッチの様子についても、このGun誌の記事から
少しばかり転載させていただきましょう。

「今回の競技種目は”ピンバスター”という、
 実銃のマッチでやるボーリング・ピンを
 ブッ倒す競技だ。(中略)プラスチック製の
 オモチャのピン。この高さ約20センチのピンを
 4メートルの距離から5本倒す間のタイムで
 勝敗が決まるというワケだ。」


そうそう、そうでした・・
もつれた糸が解かれるように、
あの時の記憶が次々と蘇って来ます。

このピンバスターを銃の種別で4部門に分け、
それぞれのクラスで優勝を争ったのでした。

同一クラスへのエントリーは1回のみでしたが、
他クラスとの掛け持ちは自由。

「またどんな銃を使っても良いステージ4の
 アンリミテッド部門では、フル・オート・ガンと
 押し込み式エアーガンとの戦いが見られるなど、
 ステージ3までとは違ったハチャメチャ・マッチが
 見られて面白かった。」


Gun誌の記事にもこう書かれているように、
銃の制限一切無しのアンリミテッドクラスは
シビアなマッチというよりも、
夜店の射的を大々的に行ってしまったような
気軽な楽しさがあったように覚えています。

各クラスの正確なエントリー数は、
さすがにそこまでは書かれていませんでしたが、
スタッフがパニックに陥ったほどの
大勢のシューター達の頂点に立ったのは、
下画像の4名の方でした。



長年のエアガンシューティング経験者ならば
必ず知っているであろうお顔が並んでいるのですが、
今では直接の親交も無いため、
念のためモザイクをかけております。

各クラス上位3名までの結果も
下画像の表として掲載されていたのですが、
後の日本のエアーガンシューティング界において、
その名を轟かせて行くことになる
そうそうたる面子が並んでいました。



各クラス入賞者が使用した銃の種類が、
時代を物語っていて興味深いところですね。

尚、こちらも同様の理由により、
私のことを良く知ってくれている約1名を除いた
入賞者のお名前は伏せております。

ステージ3のエアーガン長物クラスにおいて
ライアットガンカスタムで堂々2位に輝いている
その約1名こそは、かの有名な戦うフォトグラファー、
若き日のトモ長谷川氏その人だったんですね。

さっすがトモちゃん、
この頃からバッチリ頭角を現していましたね。
彼は初めて会った時から只者じゃなかったもんなー。


 画像はハイパー道楽さんから拝借しました

こんな怖い顔はしてなかったけどね(笑)


以上、だぶー君が提供してくれた
このGun誌1986年6月号の記事のおかげで、
コンバットマガジン誌上で葬られていた
第4回プラチナカップの内容を紐解くことが出来ました。

しかし、そのGun誌にも書かれることが無かった、
あの時あの場にいた当事者でしか知り得ない、
狂騒の舞台裏のエピソードもまた存在するのです。

次回は、私のエアガンシューティングとの因縁話の
核心とも言えるその部分について、
記憶を手繰りつつ語ってみたいと思います。






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