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カズヤ
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その昔、某銃器専門月刊誌のライターと、某エアガン専門店での開発、販売を兼務。その後、某出版社に誘われ、エアガン関連ムックの編集に携わる。さらに後、某エアガンメーカーに誘われて入社と、80から90年代にかけて、エアガン業界にどっぷりつかった人生を送るが、ある理由により業界から撤退。
そして2012年、再び鉄砲業界に返り咲き、Gunsmith BATONに入社。充実した日々を過ごす中、2014年には人生初の渡米を果たし、憧れのイチローさんの下で、夢だった実弾射撃をついに体験! もはやこの人生に一片の悔いも無い、51歳の初老ガンマニア。
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Posted by ミリタリーブログ at

2012年01月31日

マルシン電動UZIについて その85 総括と今後1



スプリングとピストンの話しを途中に挟んでと、
ちょいと寄り道してしまいましたので、
今回は前置き無しで本題に入りましょう。

「その82」でひとまずの成功を見た
ガラスチューブ仕様での命中精度向上計画。

今回のシリーズではその結果も含め、
今までの様々な検証結果を見直して、
マルシン電動UZIというエアガンに対する
一応の結論を出してみようと思います。

過去記事の説明と重複しますが、
まずは下のイラストをご覧ください。



ノーマル状態のマルシン電動UZIは、
チェンバーに送り込まれたBB弾が
どこにもホールドされておらず、
下イラストに示したバレル内21mmの空間を
コロコロと動いている状態にあります。



給弾ノズルが前進しきった直後に
エアーで射出されているとはいえ、
これでは命中精度が安定しないのも
頷けるというものですよね。

そこで講じたのが、
懐かしいガラスチューブを使った方法。


 イラスト中、緑色で描いた部分がガラスチューブです

本来のチェンバーパッキンの内側に
ガラスチューブをはめ込むことで
BB弾をやわらかく保持し、
射出位置のバラつきの解消を狙ったわけです。



上がそのノーマル状態とガラスチューブ仕様での
グルーピングの比較なのですが、
狙い通り若干タイトになっているのがわかります。

ただやはり、長物の命中精度としては
今ひとつパッとしませんよね。



参考までに、昨年末の横浜PMC11thにて使用した
マルイハイキャパ自家製カスタムの
製作途中のグルーピングテストの結果を見てみると・・



中央の黒丸は直径20mm程度ですが、
7mからの依託射撃で5発撃ってのこの精度。



同じ距離からスタンディングで
かなり無造作に撃ってもこのグルーピングです。

着弾が右に逸れているのは
ゼロインが出ていないためですが、
距離が8mになったところで、
極端に広がることは無さそうですよね。

ブローバックガスガンでこれだけの精度が出てしまう
東京マルイ製品の恐るべきクオリティと較べるのも
可哀想ではあるのですが、
正直もうちょっと何とかしたいところです(涙)

これまでの検証記事で、
上述したガラスチューブの投入だけでなく、
バレル内側の清掃やシリンダーを含めた
チェンバー周りの気密アップ処理等、
打てる限りの手はすべて打ったと自負しております。





それでも満足の行く命中精度が得られない現状、
辿り着く結論はただひとつ。

マルシン独自のスーパーソニックバレルの構造。
これがBB弾の直進性を損ねていると
言わざるを得ないでしょうね。



いや、勿論わかってはいたんですよ?

それでも少しでも何とかならないかと
ここまで足掻いて来たのですが、
やっぱりダメなものはダメでしたね~(涙)

では、マルイ製品が良く当たるのは何故なのか。
マルシン電動UZIを当たる銃にするためには
どうすれば良いのか。

次回はその可能性を探ってみようと思います。

マルシン電動UZIの話し、いよいよラスト間近です!  

Posted by カズヤ at 20:59Comments(2)性能、検証

2012年01月29日

マルシン電動UZIについて その84 ジュラルミン製ピストン

昨日今日と熱を出して寝込みましたが、
おかげでこうして更新出来る程度には
体調が回復して参りました。

幸いインフルエンザでは無かったようですが、
皆さんもどうか気を付けてくださいませ。

さて今回のネタは、
メーカー不明のジュラルミン製ピストンのご紹介です。

※OKパーツ製造、桑田商会販売の製品との情報を
 POD様よりお寄せいただきました。
 ご協力に心から感謝いたします!




前回の190%スプリングと同様、
こちらもヤフオクで見つけて入手したのですが、
ご覧の通り製造メーカー不明の怪しい代物。



実際に使える物かどうかもわからないまま
一か八かといった気持ちで落札してみたのですが、
とりあえずはちゃんとした製品でした。



上画像でラックギアが黒くなっているのは、
タミヤ製のモリブデングリスを塗布したためです。
ピストン単体での撮影をしていなかったことに、
組み立て途中で気が付いたんですよね(汗)



ノーマルではピストンヘッドが
別体構造になっていましたが、
こちらはすべて一体の削り出し。



この手の製品を買ったのはこれが初めてなのですが、
製作にかなり手間がかかっている様子がわかりますね。
3900円という値段にも頷けるところです。



ノーマルピストンと較べて見ると、
後端のラックギアが1枚少ないのに加えて、
歯のピッチが微妙に異なっているようです。

フルオートのサイクルに影響がありそうですが、
さほど大きな違いは出ないでしょうね。

気になるのはピストン単体の重量です。

手元に大雑把な上皿計りしかないため
正確な数値はわからないのですが・・・





ノーマルのおよそ2倍といったところですね。
この重量差がどれだけの影響を及ぼすのか、
ちょっと興味深いところではあります。

心配だった本体への組み付けですが、
意外にもポン付けで問題ありませんでした。



横着せずにここまでバラした上で
ノーマルピストンを取り出して・・



Oリングもそのまま交換。



しっかりグリスアップして組み込みます。



スプリングもすんなり入りました。

バッテリーを繋いでの動作にも特に問題は感じられず、
当初考えていた以上にしっかりした製品だったことが
はっきりわかりました。
ちょいと思わぬ拾い物でしたね(笑)

ではピストン重量が2倍になったことで
初速とサイクルにどんな影響が出るものか、
毎度お馴染みのakiipiro5 弾速計にて計測してみました。

バレルは前回同様ガラスチューブ仕様の物を、
スプリングはノーマルの物をそれぞれ使っています。



ノーマルピストンのそれよりも
若干初速がアップしていますね。

常識的に考えれば、
ピストンが重いほど前進速度が下がって
初速も低下しそうなものですが・・・

シリンダー容量とのバランス的な問題で
このような現象が起きているのでしょうか??

一方フルオートのサイクルに関しては、
これは予想通り回転数が低下していました。

下は「その55 リポバッテリー再検証2」にて
ご紹介した動画から抜き出した画像なのですが、



このノーマルピストンの回転数に対し、
ジュラルミン製ピストンは下のような数値でした。



平均値を出すにはデータが足りませんが、
秒間1~2発のサイクル低下といった感じでしょうか。
実際にはほとんど体感出来ない程度の違いですね。

最大の問題は命中精度への影響なのですが・・
こちらは今回テストを見送らせていただきました。

というのも、適正ホップを出そうとした時点で、
前回の190%スプリングでのテスト時と同様、
弾道がバラバラといった状態だったんですよね(涙)

どうやらマルシン電動UZIは、
銃口初速85.0m/s前後というノーマル状態でのみ
最大の実力を発揮出来る、
「真面目な」エアガンと言えそうです(笑)

要はどこか一箇所だけパーツを変えただけでは
バランスが崩れて性能が低下するということで、
これはどのエアガンにも同じ事が言えるのでしょうね。

以上のことから導き出された結論は、
このジュラルミン製ピストンについても、
単体で組み込んだだけでは
その真価はわからないといったところですね。

KM企画のカスタムシリンダーと前回の190%スプリング。
そしてこのジュラルミン製ピストンを組み合わせたら、
かなりポテンシャルの高いUZIが出来上がりそうなのですが・・・

と、以上でメーカー不明の
ジュラルミン製ピストンの紹介記事は終了です。

今回も「ただご紹介しただけ」という
消化不良な記事になってしまいましたが、
先送りにしていたガラスチューブ仕様での
命中精度テストの結論も絡めて、次回はいよいよ
マルシン電動UZIに関する総括を行いたいと思います。

次回だけで終われるかどうかわかりませんが(汗)
マルシン電動UZIについての話、ついに完結です。  

Posted by カズヤ at 22:58Comments(6)カスタムパーツ

2012年01月26日

マルシン電動UZIについて その83 PDI製 UZI190%

マルシン電動UZIの話しを再開して以来、
アクセス数がみるみる減っているのですが(涙)
まぁ、これがこのブログの本来の姿だと思います。
1日1000アクセスだなんて、
何かの間違いとしか言い様がありませんからね・・。

さて今回ご紹介いたしますのは、
先ごろヤフオクにて入手しました
「P.D.I製 ULTIMATE POWER Spring
 マルシンAEG専用 UZI190%」
なる強化スプリングです。



前回のグルーピングテストの途中で、
スプリングとホップ調整のセッティングを
大幅に変更した云々と書きましたのは、
このスプリングを試していたわけなんですねー。

本来はグルーピングテストの結果を元に、
命中精度についての考察を行う予定だったのですが、
話しの流れをスムーズにするために、
ちょっと寄り道させていただきますね。



190%スプリングなどという商品名からして、
改正銃刀法施行前の製品でしょう。

どんな極悪な代物なのかと思いきや、
手元に届いたパッケージを開けてみれば、
白い樹脂(ジュラコン?)製のリングと、
予備のヒューズと一緒に、
案外普通な印象のスプリングが出て来ました。



上画像はノーマルスプリング(手前)と
並べてみたところですが、
不等ピッチのノーマルに対して190%の方は、
巻き数の多い普通のバネといった感じですね。



線径を測ってみたところ、ノーマルは約1.3mm



190%スプリングは約1.4mmとなっていました。

おそらくはノーマルピストンの内径と
スプリングガイドの太さとの兼ね合いから、
これ以上太い巻き線を使いたくても
使えなかったというのが実情でしょうね。



上の画像でおわかりいただけるように、
自由高さもさほど変わっていないため、
UZIへの組み込みも至ってスムーズ。



ガラスチューブ仕様の命中精度テストの途中で、
ちょいと組み込んで試してみたという次第です。

まずはその初速を測るため
適正ホップを出そうとしたのですが、
これがもうまったくと言っていいほど
適正なポイントが見つからないのです。

ホップ調製用ネジの回転が
60度刻みでクリックストップするのが悪いのか、
ワンクリックの差で弾道が激変してしまう格好になり、
では0.25gの弾ならどうかと試したところ、
今度はいくらホップを強くかけてもまともに飛ばず・・・

単純にスプリングを強くすれば
パワーアップして飛距離も伸びるといった、
旧態依然の考え方がいかに間違っているかを
思い知る結果となりました。

それでもなんとか妥協出来る程度のセッティングを出し、
いつものakiipiro5 弾速計にて計測してみたところ・・



なるほど、ノーマルスプリングのそれよりは
ほんのわずかに初速がアップしていますが、
適正ホップも出せないようでは
何の意味もありませんよね。

もはや試すまでもありませんでしたが、
一応8メートルから10発撃ってみたところ、
案の定グルーピングはノーマル以下の
酷いバラつき具合となりました。



これではとてもマッチやサバゲへの
実戦投入は出来ませんね~(涙)

以上の結果から、
マルシン電動UZIというエアガンが
絶妙なバランスで設計されていたことが
奇しくもはっきりとわかりました。

マルイ電動のM4あたりで長射程カスタムを造られている方は、
きっとこのあたりのノウハウを豊富にお持ちなのでしょうね。

スプリングの強さ、シリンダーの容量、
バレルの長さ、内径、チェンバーの構造・・・
すべての要素を最適にバランスさせるなんて、
そんな高等技術、私にはとても真似出来ません(汗)


と、結果的に何がしたかったのか
良くわからない記事になってしまいましたが、
以上でマルシン電動UZI専用
PDI製UZI190%スプリングのレポートを終わります。

こんなスプリングがありましたというご紹介と、
マルシン電動UZIは弄るのが難しいという事実は
なんとかお伝え出来たかと思います。

過去記事でもR100RSさんからご紹介いただいた
カスタムパーツをいくつかレポートしていますが、
まだまだ未知の社外パーツが
存在しているのかもしれませんね。

何か情報をお持ちの方がいらしたら、
是非こっそり教えてやってくださいませ。


さて次回は、これもヤフオクで発見した
珍しい社外パーツのレポートをお送りいたします。

あまりにも体調が優れないため(インフル?)
明日は更新出来ないかもしれませんが、
マルシン電動UZIの話しシリーズ、
あと2回ほどで完結の予定です。  

Posted by カズヤ at 21:04Comments(2)カスタムパーツ

2012年01月25日

マルシン電動UZIについて その82 命中精度向上計画9

さてさて、今回は一切の前置き無しにて、
命中精度テストの結果をご報告いたします。



上画像は、テスト当日に
赤羽射撃場に持ち込んだ銃器一式。

ハイキャパ関係はともかくとして、
何やらmp3プレイヤーが一緒に写っておりますが、
これの用途は別の機会に(フフーフ!)



まずは上画像のように狙点を右上にとった的紙で、
なんとか的紙の中央付近に着弾するよう
ドットサイトの調製を行います。

これがもう悲しくなるほどに
前回の着弾点がズレているんですよね(涙)

で、なんとかゼロインが完了しての、
第1回目の実射結果が下のものです。



下方に1発大きく外れたものの、
なかなか良好なグルーピングと言えそうです。

同じく2回目がこちら。



1回目とほぼ同じ傾向の集弾性と言えますね。

と、ここで一旦スプリングとホップ調製の
セッティングを大幅に変更した別のテストを行いまして
(それについては後述します)、
再度スプリングをノーマルに戻し、
適正ホップを出した上で、3回目の実射を行いました。
その結果がこちらなのですが・・



見事にバラバラ(涙)
ゼロインも狂い、せっかくまとまったグルーピングが
ノーマルより悪い結果になってしまいました。

これでは話しにならないので、
改めてサイトの調製を行い、
仕切り直しての4回目の結果が下のものです。



そうそう、こうでなくっちゃいけませんよね(汗)
4回のテスト中、最もタイトなグルーピングになりました。

この結果と、ノーマル状態でのグルーピングを
わかりやすく画像加工して並べてみると・・



集弾性は確実に向上していますよね。

次に良い結果だった2回目のものと較べてみると



なんとも微妙ではありますが、
わずかながらも集弾性が
向上しているのは間違いありませんね。

以上のテスト結果から、
ガラスチューブを使用してのプランBは、
劇的な命中精度向上とまでは行かなかったものの、
ひとまず成功したと見て良いだろうと思います。

色々と言いたい事はあるのですが、
とりあえずは結果のご報告までということで、
今回はここまでです。

次回はこのテストで新たに見えて来たことを
考察してみたいと思います。

マルシン電動UZIの話し、いよいよ残りわずかです。
  

Posted by カズヤ at 21:02Comments(0)自作カスタム

2012年01月24日

マルシン電動UZIについて その81 命中精度向上計画8

昨夜はひさしぶりに更新をお休みしましたが、
本来の更新ペースは3日に1回くらいですので、
悪しからずご了承いただければ幸いであります。

しかし、筆(キーボード)の勢いにまかせて
連日更新していたおかげでしょうか。
ふと気が付いてみれば、
管理画面で言うところの全てのアクセス数が
早くも4万件を突破していました。

大晦日に3万件を超えたばかりなので、
わずか1ヵ月足らずで10000以上のアクセスを
頂戴したことになるわけですね。

UZIの記事だけを書いていた時には
考えられなかったことなので、
正直かなり複雑な心境なのですが(汗)

今後も多くの皆様に楽しんでいただけるような
記事作りを目指して頑張りますので、
変わらぬご愛顧のほどをよろしくお願いいたします。

さてさて、今回はちょっと原点に立ち返りまして、
中途半端なところで終わっていた
マルシン電動UZI命中精度向上計画の
最終結果をご報告したいと思います。



シューティングマッチ絡みのネタを期待して
ご来訪くださった方には申し訳ございませんが、
これに決着をつけないことには
話しを先に進められませんので、
何卒ご容赦くださいませ。

では、ここから本題に入ります。

昨年12月23日にアップした
「命中精度向上計画7」の記事にて製作した
ガラスチューブ入りのチェンバーパッキン。



これをセットしての命中精度テストが
中途半端な状態になっていたわけですね。


 8メートルからの7発のグルーピングです

上の昨年末の自宅での試射結果が好感触だったため、
ホップ調製等のセッティングをそのままに
いつもの赤羽射撃場に持ち込み、
改めてその実力を検証して参りました。



まずは下の画像をご覧ください。
これは「その77 命中精度向上計画4」の時に
未加工バレルとノーマルパッキンの組み合わせで
8mから撃ち込んだ10発のグルーピングです。



これを基準として話しを進めて行きましょう。

ガラスチューブ仕様でのグルーピングチェック。
そのテスト方法は前回とまったく同じ条件で行いました。

使用したBB弾は定評ある東京マルイ製
パーフェクトヒット ベアリング研磨0.2g。
8メートルからA4サイズの的紙に10発撃ち込みます。



射撃の際は下画像のように
UZIをカラーボックスに依託した状態で、
慎重に狙ってトリガーを引きました。



ただ、このカラーボックスが
けっこうガタガタと不安定だったので、
完全な依託射撃とは言い難いものがありますね。

と、テストの実施条件をご紹介しただけで
けっこうなボリュームになってしまいましたね・・
いつも前置きが長すぎてこうなるんですよね~(汗)

ガラスチューブ仕様での命中精度は、
次回詳しくご紹介させていただきます。

頑張って明日更新いたしますので、
何卒お許しくださいませ!
  

Posted by カズヤ at 21:07Comments(0)自作カスタム

2012年01月22日

エアガンシューティングとの因縁 その9

さっそく前回の続きなのですが、
当時の空気を少しでも感じていただけるように、
1986年当時のコンバットマガジンの、
6~8月号に掲載されている
広告ページの画像を交えながら
話しを進めてみたいと思います。


 残念ながら無くなってしまったMGC この頃はM93Rがメイン商品でした

ところで前回、全体的な流れについては
ほとんど記憶が無いと書いていながら、
けっこう詳しく覚えていることについてですが(汗)

私は現場全体の責任者として
開場中を奔走していたため、
マッチの流れを見ていなかったということで、
事態がどんどん悪化していく様子については
克明に記憶しているというわけです。

破綻して行くマッチ運営の調整に加え、
入場制限が納得出来ない来客の苦情対応と、
完全にパニック状態に陥っていた私でしたが、
そこに追い討ちをかける事態が持ち上がりました。

当日になってK氏が連れて来た外部スタッフが、
自分達が撃てないことに腹を立て出したのです。


 東京マルイさんは低価格でリアルなコッキング式エアガンを続々と発売していました

「話しが違う」などと言われたところで、
彼らがどんな条件でスタッフを請け負ったのか、
そもそも外部スタッフが参加することさえ
一切聞かされていなかった私には知る由も無いのですが、
混乱の度合いを増して行く状況におろおろする
現場責任者である私に対して、相当面白くなかったのでしょう。

「チッ! 使えねぇ奴!」

「役立たず野郎が・・」

「ぶん殴ってやりてェよ」

そんな言葉が聞こえよがしに会場内を飛び交います。

私自身、責任者として役不足な自分を
嫌と言うほど感じていましたので、
仮りにも身内であるスタッフからの
これらの言葉には心底参りました。


 スーパーリアルなコッキング式エアガンのM92F マルシンさんは独自路線で頑張っていました

それでも気心の知れたスタッフもいたため、
進行のほんの合間に談笑していたのですが、
その笑い声がよほど癇に障ったのでしょう。

「オラ! 笑ってんじゃねぇよ責任者さんよォ!!」

チンピラヤクザの恫喝もかくやという、
強烈な罵声が飛んで来ました。


そこから先のことは、ほとんど記憶にありません。
いや、マイクを握って決勝戦のMCを努めた時に、
完全なヤケクソになっていたのは覚えていますね(笑)

協賛メーカーにご提供いただいた賞品の配布も終わり、
会場を撤収したのは何時頃だったでしょうか。

撤収後、スタッフの打ち上げ等は行われたのかどうか、
そもそもどうやって帰宅したのかまで、
マッチが終わった後の記憶が
今度こそ完全に抜け落ちているのです。


 コクサイ産業さんのガバメント ステージ1優勝者の使用銃でした

こうして大混乱のうちに終了した、
狂騒の第4回プラチナカップ。

客観的な視点に立って見たら、
あれほどお粗末な大会は無かっただろうと思います。

わざわざ足を運んでくれた来場者を迎える体勢が
まったく整っていないばかりか、
一時は追い返そうとまでしたわけです。
現場の責任者が非難されるのは当然のことでしょう。
あれから26年が経った今ではそう考えることも可能です。

しかしあの時は、状況があまりにも理不尽に過ぎました。

イベントを手伝うつもりで出かけたその場で、
いきなり全責任を丸投げされた者の身になれば、

「なんで俺がこんな目に・・・」

当時の私がそう想ったのは無理もないことでしょう。


 SS9000改め、UX SUPER9 この時代、スナイパーライフルといったらこれでしたね

多くの人間の剥き出しのエゴにたっぷりと翻弄された、
世間知らずだった二十歳の私の精神は、
文字通りボロボロになっていました。

その日以来うなされて眠ることが出来ず、
突如意味も無く涙が溢れ出す状態になっていたのは、
今で言うPTSD、心的外傷後ストレス障害ですね。

”もうシューティングマッチには絶対に関わらない”
”シューターと称する人間には決して近付かない”

まんじりとも出来ない夜の中、固く心に誓っていました。


この記事を書くにあたり、
当時の記憶を掘り起こす必要があったわけですが、
おかげでここ数日、眠れない夜が続きました。
私にとっての第4回プラチナカップは、
それほど忌まわしい恐怖の記憶となっているのです。

ただ、以上の出来事はあくまで
私の記憶によって執筆したものです。

勿論、嘘や脚色は一切していないつもりですが、
大体において記憶というものは、
その当人にとって都合の良いエピソードに
書き換えられていることが多いと聞きますから、
すべての記述が正確だという保証が出来ないことは、
この項の最後にお断りさせていただきます。

私の記憶と異なる事実をご存知の方がいらしたら、
遠慮なくコメント欄に書き込んでくださいね。


 アンクルさんといえばフルオートガスガンでしたね 社長さんにはどれだけお世話になったことか・・・

と・・・なんとか今回で完結させようと思ったため、
いつにも増して長い文章になってしまいましたね。

こんなダラダラとした昔話を
多くの方が興味を持ってお読みくださっていることは
まことにもって望外の幸せであります。

これにて第4回プラチナカップについて
知る限りのことはすべて語り尽くしたわけですが、
皆さんご存知の通り、荒川の土手に場所を移しての、
第5回大会からが本当のプラチナカップと言えるのです。

どのような経緯で月例開催に至ったのか、
また、あれだけの目に遭った私が
どんな心境で毎月の運営を手伝っていたのか。

そのあたりについても、
当事者でなければ書けない
様々なエピソードが存在するのですが・・
どうですかお客さん?(笑)
こんな陰鬱な話しをこれ以上読みたいと思われますか?

というわけで、次回のネタは今のところ未定です。
リクエスト等あったら、是非コメント入れてくださいね。
  

Posted by カズヤ at 20:09Comments(11)シューティングマッチ

2012年01月21日

エアガンシューティングとの因縁 その8

さて、さっそく前回の続きを進めましょう。
やはり当時の写真は一切無いので、
私のハイキャパの画像を交えてお届けいたします。



第4回プラチナカップ当日の朝になって
いきなり責任者をまかされた当時の私が、
どのようにしてイベントを仕切ったものか。

全体的な流れについてはほとんど記憶が無いのですが、
断片的な光景は今でも脳裏に焼きついています。


 練習中にリアサイトのアクリル棒が吹っ飛びました

最近よくコメントを残してくれている
あの時のスタッフの一員だったT2氏も、
個人的なメッセージのやりとりの中で
「当時の記憶がほとんど無い」と述懐していますが、
それもむべなるかな。

個人の処理能力の限界を遥かに超えた様々な事態が
スタッフ各人に強烈に圧し掛かっていたあの状況では、
目の前のマッチの進行をひたすらこなすこと以外に、
出来ることが何ひとつ無かったのです。


 修復ついでにフリーダム・アート製フラッシュフロントサイトのアクリルも外します

何しろ続々と押し寄せる出場希望者と、
企業ブースとマッチ見物が目的の来客が、
何時になっても止まる気配すら無く、
決して狭くは無い後楽園ホールのフロアーが
文字通り立錐の余地も無い状態になっていました。

また、複数エントリーを可能としたことが災いし、
各ステージ間の連携も取れていなかったため、
シューターの撃つ順番が重なったり、
逆にいつまで待っても順番が回って来なかったりと、
マッチの進行は大混乱。


 フリーダム・アート製の集光アクリル 全色取り揃えております(笑)

かてて加えて、完全にキャパシティオーバーのため
これ以上のエントリー受付は不可能という判断から、
マッチを行っていた6階フロアーへの
一時的入場禁止措置を採ったことが
さらなる混乱を招きます。

不承不承ながら黙って帰る方もいたものの、
ほとんどの方は入場再開を待って、
ホールの廊下や内階段に座り込んでいました。

それだけならまだしも、
開場に持ち込んだエアガンをその場で取り出し、
中には廊下で試射を始める輩も出たりと、
事態は最悪の方向へと加速して行きます。


 リアサイト側はグリーンに変更

さらには、入場を止められた来客の苦情の数々。

「何時間かけて来たと思ってるんだ!」

「責任者は誰だ! お前じゃ話しにならん!」

怒鳴りつけられた若いスタッフ
(私だって当時は20歳です)が、
涙目になって私に泣きついて来るものの、
泣きたいのはこちらも同じです。

「俺を誰だと思ってるんだ!?」

などと言う方もいらっしゃいましたね。
確かにある意味有名な方でしたが・・


 見てくれは今ひとつですが、効果は抜群

来客側の立場になってみれば、
午後になってからゆっくり行けば、
ある程度は人も落ち着いているだろうと、
そう判断するのはごく当たり前のことですよね。

冷静になった今ではそのように考えることも出来ますが、
あの時の私にそんな心の余裕は微塵もありませんでした。


 フロントサイトのアクリルは赤にしてみました

書いていてどんどん鬱になって来ますが、
知られざる第4回プラチナカップの舞台裏。
次回完結の予定です。  

Posted by カズヤ at 21:17Comments(2)シューティングマッチ

2012年01月21日

エアガンシューティングとの因縁 その7

さて、ちょっと更新が遅くなりましたが、
何をどこまで、どのように・・と悩みつつ、
前回の続きを書いてみました。

あの大会に関してお見せできるような写真等は
さすがに一切残っておりませんので、
私のハイキャパカスタムの画像を交えて
話しを進めさせていただこうと思います。

以前掲載したものよりほんの少しだけ
まともに写せたかな~と思いますので・・



さて、ここから本題に入ります。

エアガンのイベントとしては異例とも言える
2000人(Gun誌情報)もの来場者を集め、
大盛況のうちに終了した第4回プラチナカップ。

手元の資料によれば、この年の11月に開催された
ジャパンビアンキカップの出場者総数は219名。

単純に比較出来るものではありませんが、
少なくとも1986年のこの時点において
第4回プラチナカップは、
国内最大規模の集客を果たした
シューティングマッチだったと言っても
決して過言ではないでしょう。



しかし、主催であるプラチナカップ実行委員会・・
実質的にはK氏を中心とした
身内の数人の集まりでしたが、
この大会がここまでの規模になることを
まったく想定出来ていませんでした。

前年に行われた第3回大会を、
決してスムーズとは言えないものの、
大きな失敗もなく終えられた自信が災いし、
「今回も何とかなるだろう」
といった程度の認識でいたのでしょう。

マッチの進行に関するミーティング程度は
行ったような記憶があるものの、
トラブルの発生を見越した対応策等は
まったく考慮されないままに
大会当日を迎えてしまったのです。



集められたスタッフは私をはじめ、
イベントを仕切るだけの経験も知識も
ほとんど持ち合わせていないただの素人集団。

そこに、協力を申し出てくれたと言って
当日の朝になってK氏が連れて来た
何人かの読者シューターの面々が加わり・・
十数人程度の数にはなっていたでしょうか。
まぁ、2000人を捌ける数ではありませんよね。

しかも、これははっきり覚えているのですが、
いよいよ開場直前というその時になって
K氏がこう言い放ちました。

「ワシは取材で撮影しなきゃならんから、
 今から責任者はカズヤ、お前な。」


イベントの全責任をいきなり押し付けられたのです。



あまりにも突然のことで頭の中は真っ白になり、
その後どうやってスタッフを配置し、
出場受付を始めたのか等が一切記憶に無いのですが、
恐怖の1日はこうして幕を開けました。


話しは次回に続きます。  

Posted by カズヤ at 01:03Comments(0)シューティングマッチ

2012年01月19日

エアガンシューティングとの因縁 その6

さて、今回は前置き無しで話しを進めます。

このところマメにコメントをくれている
中学時代からの鉄砲仲間のだぶー君と、
前々回の記事の内容についての話しで
直接メールをやり取りしていた中でのこと。

彼からのメールに、実に何気ない調子で

「Gun誌の6月号には優勝者も載ってたよ」

てな言葉がさらりと書かれているではありませんか!



”その4”にて、「あのGun誌も後援に付き」と
自ら書いていながら何故その発想が浮かばなかったか、
己の頭の固さにガックリと脱力しましたが(涙)
即刻だぶー君にお願いして、
そのGun誌の記事ページを画像で送ってもらいました。

だぶー君、感謝だぜ!!


 CM誌1986年8月号より 右がだぶー君 左は私

下がその第4回プラチナカップの記事ページですが、
そこには知りたかった情報がバッチリ記されていました。



4月13日に開催されたイベントの記事が
同じ月の27日発売の月刊誌に掲載されるというのは、
出版業界の常識からすると、
これはちょっと考えられない事態なのです。

この記事の掲載を見越して1ページ開けておいて、
印刷直前に原稿校了でブッ込んだ・・・
などと書いても、ほとんどの方には意味不明ですが(汗)
かなりのウルトラCによって掲載された
速報記事だということは間違いありません。

当時のGun誌編集スタッフに敬意を表しつつ、
以下に冒頭部分を転載してみましょう。

「エアーガンを使ったシューティング・マッチとして
 着実に成長し、人気を集めているプラチナカップの
 第4回大会が、4月13日、東京・後楽園ホール6階
 特設会場で行われた。
  会場には延べ2,000人にもなろうかという出場者と、
 見物客が集まり、5階の協賛メーカーのブースと共に
 大変なにぎわいだった。」


完全に一読者となって読んでしまいましたが、
「延べ2,000人」という来客数には驚愕のひと言。

会場のキャパシティを完全にオーバーしていたことは
はっきり覚えていたのですが、
それほどの人数が集まっていたとは・・・
なるほど運営が破綻したのも当然でしょう。


 中央でジャッジを努めているのは江呂場テツヤ君

上は記事の写真を拡大したものですが、
競技中のシューターの後ろでギャラリーが
すし詰めになっているのがわかりますね。

私の記憶違いで、第3回プラチナカップと
完全に混同していたのですが、
会場に入りきらないほど押し寄せた来場者が
廊下や階段にまであふれ出していたのは、
この時に起きた現実の出来事でした。

マッチの様子についても、このGun誌の記事から
少しばかり転載させていただきましょう。

「今回の競技種目は”ピンバスター”という、
 実銃のマッチでやるボーリング・ピンを
 ブッ倒す競技だ。(中略)プラスチック製の
 オモチャのピン。この高さ約20センチのピンを
 4メートルの距離から5本倒す間のタイムで
 勝敗が決まるというワケだ。」


そうそう、そうでした・・
もつれた糸が解かれるように、
あの時の記憶が次々と蘇って来ます。

このピンバスターを銃の種別で4部門に分け、
それぞれのクラスで優勝を争ったのでした。

同一クラスへのエントリーは1回のみでしたが、
他クラスとの掛け持ちは自由。

「またどんな銃を使っても良いステージ4の
 アンリミテッド部門では、フル・オート・ガンと
 押し込み式エアーガンとの戦いが見られるなど、
 ステージ3までとは違ったハチャメチャ・マッチが
 見られて面白かった。」


Gun誌の記事にもこう書かれているように、
銃の制限一切無しのアンリミテッドクラスは
シビアなマッチというよりも、
夜店の射的を大々的に行ってしまったような
気軽な楽しさがあったように覚えています。

各クラスの正確なエントリー数は、
さすがにそこまでは書かれていませんでしたが、
スタッフがパニックに陥ったほどの
大勢のシューター達の頂点に立ったのは、
下画像の4名の方でした。



長年のエアガンシューティング経験者ならば
必ず知っているであろうお顔が並んでいるのですが、
今では直接の親交も無いため、
念のためモザイクをかけております。

各クラス上位3名までの結果も
下画像の表として掲載されていたのですが、
後の日本のエアーガンシューティング界において、
その名を轟かせて行くことになる
そうそうたる面子が並んでいました。



各クラス入賞者が使用した銃の種類が、
時代を物語っていて興味深いところですね。

尚、こちらも同様の理由により、
私のことを良く知ってくれている約1名を除いた
入賞者のお名前は伏せております。

ステージ3のエアーガン長物クラスにおいて
ライアットガンカスタムで堂々2位に輝いている
その約1名こそは、かの有名な戦うフォトグラファー、
若き日のトモ長谷川氏その人だったんですね。

さっすがトモちゃん、
この頃からバッチリ頭角を現していましたね。
彼は初めて会った時から只者じゃなかったもんなー。


 画像はハイパー道楽さんから拝借しました

こんな怖い顔はしてなかったけどね(笑)


以上、だぶー君が提供してくれた
このGun誌1986年6月号の記事のおかげで、
コンバットマガジン誌上で葬られていた
第4回プラチナカップの内容を紐解くことが出来ました。

しかし、そのGun誌にも書かれることが無かった、
あの時あの場にいた当事者でしか知り得ない、
狂騒の舞台裏のエピソードもまた存在するのです。

次回は、私のエアガンシューティングとの因縁話の
核心とも言えるその部分について、
記憶を手繰りつつ語ってみたいと思います。

  

Posted by カズヤ at 21:20Comments(0)シューティングマッチ

2012年01月18日

エアガンシューティングとの因縁 その5

昨夜の記事は思ったほどのアクセスが無く、
辛辣なコメントもいただいてしまい、
今日はちょっとばかりへこんでおります。

ランキングが上昇したことで、
どこか調子に乗っていたんでしょうかね・・(汗)

しかし、書きたい話しのテーマが
まったくブレていないのは間違いありませんので、
前回の続きを粛々と進めさせていただきましょう。

一応お断りしておきますが、
第4回プラチナカップは1986年4月13日に
間違いなく開催されました。
これは私の夢でも妄想でもありません。

少々話が前後しますが、1986年8月号の
エアーガンテストレポートの中で、
「プラチナカップも無事に終えることが出来」
といった記述を見つけることが出来ました。





たったこれだけというところが何とも・・・

と、話しを最初に戻しますが、
第4回大会を終えた4月末発売の
コンバットマガジン6月号に、
前回もご覧いただいたエアガン業界からの
告知ページが掲載されたのです。



ひとつは「日本モデルガン製造共同組合」からの告知。
もうひとつは「エアーソフトガン協議会」の告知です。

この二つの団体は異なるメーカーによって組織され、
それぞれが独自の安全基準を設けて、
発売するトイガンに自主規制を課していました。

つまりはこの時期、トイガン業界が
上の画像の見開きページが象徴するかのように、
真っ二つに割れていたというわけなんですね。

画像では各々の所属メーカーの名前を伏せましたが、
第4回プラチナカップに協賛してくれたメーカーさんが
この二つの団体へと見事に分かれていました。

これにより会場の様子を報じることが、
広告収入を得ている雑誌媒体としては
不適切になってしまったのではないか・・・

当時一介のライターでしかなかった私には、
漏れ伝わって来た噂を元に推察することしか出来ませんが、
第4回プラチナカップが事実上
「無かった」ことにされてしまったのは、
こういった事情が絡んでのことだったと思われます。

悲願だったプラチナカップのメジャー化の達成を
こんな形で握りつぶされてしまったK氏の想いは、
この時どんなものだったことでしょう。



そして開催そのものが一切触れられなかった
コンバットマガジン1986年7月号に、
こんな業界団体の告知が掲載されます。



「この2つの団体は合併することになり
 今後『日本遊戯銃協同組合』の名称で」云々・・

早い話しが、業界内部のいざこざにケリが付き、
分裂騒動が治まったという話しですね。

これを皮肉と言わずして何としましょう。
業界内部の暗闘がもう少し早く収まってくれれば、
いや、そもそもそんな諍いさえ起こらなければ、
あの大会が誌面から抹殺されることも
おそらく無かったでしょうからね。

ちなみに、同じ7月号に掲載された
マルゼンさんの広告ですが・・



この右隅の囲みのアップがこちらです。



私には<プラチナカップ公認>の文字が
空しく踊っているように見えてなりませんね。

・・・と、あれから25年が経った今、
こうして振り返ってみれば、自分の中の
第4回プラチナカップに対する気持ちが、
幾分変化していることに気が付きました。

それについては、この因縁話を終える時に
改めて触れてみようと思います。

さて、このようにして
当時のコンバットマガジンからは、
あの狂騒の後楽園ホールの模様を知るのは
ほぼ不可能であることが判明したのですが、
ここで思わぬところから
強力な援護射撃が飛んで来ました。

前回記事に痛烈なコメントを書き込んでくれやがった(笑)
30年来の付き合いになる鉄砲仲間のだぶー君が、
当時の様子を知ることが出来る
貴重な情報を提供してくれたのです!

それについては次回の記事で。
因縁話、今しばらくは続きそうです(汗)  

Posted by カズヤ at 20:15Comments(2)シューティングマッチ

2012年01月17日

エアガンシューティングとの因縁 その4

本日は更新をお休みするつもりだったのですが、
ミリブロランキングのエアガンシューティングと
エアガンコレクターのカテゴリーにおいて
それぞれ10位以内に食い込んだのを見て、
ちょいと欲が出てしまいました(笑)

マグプルも海兵隊も、M4もAKも、
もちろんお色気なども無く、
旬なネタなど一切扱わないこんなブログが
ランキングの上位に顔を出すなんて、
ちょっと小気味良いではありませんか。

思いっきりUZIの話しだった昨夜の記事で
案の定アクセス数がガクッと
落ち込んでいたのはともかくとして(涙)
今回はあまり長くならない程度に、
昔の話を書かせていただこうと思います。

さて、本日朝一番の佐川急便にて無事に届きました
1986年のコンバットマガジンの欠落分。



ちなみにこれらの本は、ネットで見つけた
通販ショップの駿河屋さんにて購入しました。

1冊280円と適切な価格で程度も良く、
合計1000円以上購入したことで送料も無料と
なかなかに良い買い物が出来ましたので、
同種の古本をお探しの方がいらしたら、
覗いてみてはいかがでしょうか。

到着したバックナンバーをパラパラと眺め、
そうそう、こんな記事があったよな~と
感慨にふけっていたのですが、
資料として真面目に読み込んでいくにつれ、
なんとも不可解な事実が見えて来ました。

同年5月号に掲載されていた
第4回プラチナカップ開催のお知らせによれば、
開催日時は1986年4月13日となっています。



次の6月号は4月末の発売なので、
入稿のタイミング的に考えると
マッチの記事は載るはずがありません。

そのため、古本を探してまで
欠落していた7~11月号(10月号は実家で発掘済み)
を入手したわけなのですが、
絶対に掲載されている筈の7月号をはじめ、
どの号を隅々まで読み込んでも、
第4回プラチナカップの記事は
一行たりとも書かれていないのです。

何故か第4回大会の記憶が欠落していたのは、
このことも一因だったかもしれませんね。

それにしても、あのGun誌が後援に付き、
主要メーカーさんの協賛もあって開催された
あの大掛かりなイベントが、
主催側であるCM誌上で黙殺されているなんて、
そんな馬鹿な話しはありません。



大会前後のバックナンバーを
もう一度隈なく探ってみたところ、
これは実家に残っていた1986年6月号の
モデルガン・エアーガン入門コーナーに
こんな文章を発見しました。



その一部を以下に転載します。

「プラチナカップでの成績はどうだったかな?
 第4回はガスガンの部門も新設されたので
 熱が入ったと思うんだ」


この原稿が締め切りを大幅にオーバーして
執筆された物だったとしても、
4月13日の大会本番以降に書かれた文章だとは
ちょっと考え難いものがあります。

つまりは、第4回大会の成功を見越して
あらかじめ書かれていたのだろうと思うのですが、
その後の号に一切の記述が見当たらないのは
一体どういうことなのでしょうか。

あまりに不可解な事実に混乱しながらも、
当時の記憶を必死で手繰りつつ
大会前後のCM誌を繰り返し読んで行くうちに、
その原因が朧げながら浮かび上がって来ました。



上述した一文と同じ1986年6月号に掲載された
上の2ページの広告・・というより、告知ですね。
ここにすべての謎を解く鍵が
秘められていたように思うのです。

といったところで、話は次回に続きます。

どうだい? 面白くなって来たろう??
ヒュー!!

  

Posted by カズヤ at 20:52Comments(5)シューティングマッチ

2012年01月16日

80年代トイガン業界裏話 その3

さてさて、今回こそはの完結編。
前置き無しでさっそく話しを進めましょう。



話しがさらに遡るのですが、
上の画像はざっと30年ほど前、
当時流行っていたS.F.P.D.のシャツに身を包み、
買ったばかりのマルシン製UZIをぶっ放す
おそらくは高校生だった頃の私の姿であります。

撮影したのは、たまにコメントしてくれる
地元の鉄砲仲間のだぶー君(だったよね?)。

ちょっと判り難いかと思いますが、
空中の2発に加えて右手に2発、顎のあたりに1発と、
合計5発のカートリッジが写りこんでいます。



なんだか心霊写真の強引な解説みたいですが(笑)
UZI本体をかなり左側に傾けて撃っているのは、
少しでもカートリッジを遠くに飛ばそうと
健気な努力をしているわけですね。

また、ノーマル状態のUZIは、
亜鉛の塊であるボルトの過剰な重さのため
1発撃つと2発撃ったような音がしたものでした。

コッキング位置から前進してカートリッジ内の
キャップ火薬が発火するのですが、
この時のボルトの激突音と発火音が混じって1回。
そしてブローバックしたボルトが
レシーバー内部の後ろ面に激突する音でもう1回。

これを擬音として表すと「バタコ!」といった感じでしょうか。
「バ」が発火音、「タ」がボルト後退時の激突音。
最後の「コ」は、ボルトがシアーにかかる音です。

明らかに2発分の音がしたのに、
カートリッジがポロリと1発だけ排莢される様は
ちょっとシュールな光景でしたね(笑)

フルオートで撃った時も、作動は快調なのですが、
「バタバタバタバタバタバタコ!!」これで6発。
何だか慌てたジャムおじさんみたいですが、
なんとも緩慢な作動でした。

しかし、重いボルトの作動が生み出す
全身が揺さぶられるようなリコイルと、
そのスローサイクルなフルオートは、
それはそれで最高に気に入ってましたけどね。


 上で撃っていたモデルガンのUZIです

ここで1985年に話しを戻して・・
締め切りを2日ほどオーバーして出来上がった
無発泡ウレタン製のボルトの複製品は
「ライトウェイトボルト」と名付けられ(そのまんまですが)、
リコイルスプリングの調製に手間取ったものの、
最後には見事なフルオート作動が成功しました。



上はコンバットマガジンの記事に掲載された写真。

切り抜きになっていて台無しではあるのですが(涙)
先にご覧いただいた30年前の写真と較べ、
カートリッジがより高く舞い上がっているのが
はっきり写っていますよね。

実際に撃った感じも「タタタタタタッ!!」と、
6回の撃発音でキッチリ6発のカートが飛び出し、
その勢いも飛距離もノーマルの数倍に達していました。

ボルトが軽くなったことにより
あの重々しいリコイルの迫力は薄れたものの、
カートリッジの変形という最大の弱点は見事に解消され、
ワンマガジン二十数発をジャム無しで一気に撃てるという、
まさにパーフェクトなUZIとしての完成を見ました。



後に第3回プラチナカップの会場で
このライトウェイトボルトの実演を行ったわけですが、
上の写真でもカートリッジが勢い良く蹴り出されているのが
おわかりいただけるかと思います。

実演本番でも見事快調に作動してくれたのですが、
さすがに覚えている方はもういないでしょうけどね~。

いわゆる大人の事情で提灯記事になることもあった
当時のテストレポートにおいて、
大好きなUZIのモデルガンを取り上げ、
何の制約もなしに作ることが出来たこの記事は、
実に思い出深い1本になっています。


そして、この記事を書いている2012年現在。



上画像は以前、マルシン電動UZIの記事で
比較用に撮影したモデルガンのUZIですが、
そのライトウェイトボルトがまだレシーバーに
納まっているのがおわかりいただけると思います。

徹底したメンテナンスのおかげで、
UZI本体のコンディションには何の問題もないのですが、
無発泡ウレタンという素材が経年劣化を起こし・・・

その姿はあまりに忍びないため
非公開とさせていただきますが、
かの伝説のライトウェイトボルトは、
レシーバーの中で無残に砕けておりました。



10年ほど前に実家で撮影した上の画像では
まだボルトが割れていないので、
ここから今年までの間のどこかで
人知れず崩壊していたわけですね・・・(涙)

ちなみに、昨日のコメントでT2氏が書いてくれた
「今の技術でもう一度作りたいか?」についてですが・・

「また作りたいし、もっと上手く作れる自信はあるけれど、
多分もう作ることは無いだろう・・」

というのが正直なところですね。

今ではシリコンの価格も当時の半分以下だし、
その手の特殊材料がネット通販等で簡単に
入手出来るようになりました。


 同種の物が当時のほぼ半額!

しかしそれとは逆に、肝心のモデルガンUZIのパーツ、
とりわけカートリッジの入手が困難になり、
そこらの空き地で火薬を使って気軽に撃つということも、
社会的に許されない状況となっています。

学校が終わって帰宅するなりモデルガンと火薬を引っ掴み、
近所の原っぱに集まってバンバン撃ちまくっていたあの時代・・
年寄りの常套句ではありますが、
「昔は良かった」そのひと言に尽きますよね。

以上、ライトウェイトボルト製作記事の裏話はこれにて終了。
ひさしぶりにUZIの話しをたっぷり書けて大満足です(笑)
アクセス数はあからさまに落ち込みそうですけどね(汗)

例の古本屋さんに注文したCM誌バックナンバーも、
先ほど入金確認と発送手続開始のメールが来ましたので、
2~3日中には手元に届くと思います。

中断していたエアガンシューティングとの因縁話しは、
当時の記事と自分の記憶を照らし合わせた上で
再開しようと思いますので、今しばらくお待ちくださいませ。

最後に昔話をもうひとつ。

この時の記事で、
ライトウェイトボルトのプレゼント企画を行い、
かなりの数のハガキをいただいたのですが、
手元にあるこの号に、下のハガキが挟まってました。



楽しいイラストと文章を書いてくれて、
是非ボルトをプレゼントしたかったのですが、
この人、自分の住所を書き忘れているんですよね~。
名前だけ明記されているところがまた何とも・・・(涙)

もうボルトを差し上げることは出来ませんが、
心当たりのある方がいらしたら、
是非名乗り出ていただきたいですね。

と、いつもの2回分ほどのボリュームになってしまいましたが、
皆様お楽しみいただけましたでしょうか。

次回の内容は今のところ未定です。
バックナンバー到着のタイミングによって、
因縁話を再開出来るか、業界裏話でお茶を濁すか・・(汗)

いずれにせよ、今の私はネタの宝庫ですので、
ちょっとだけ楽しみに次回をお待ちくださいませ!  

Posted by カズヤ at 21:48Comments(5)業界裏話

2012年01月15日

80年代トイガン業界裏話 その2



さっそく前回の続きをお話ししようと思うのですが、
昨夜の記事のあまりの反響の大きさに
心底ビックリしている次第です。

この文章を書き出した今の時点で、
PV総数が・・うわッ!? 
なんと500を超えてるじゃないですか!

ほんの間つなぎのつもりで書いた昔話が
こんなにも注目されるなんて、
完全に想定外で困惑するばかりなのですが、
20年以上前の業界裏話などを読まされて、
みなさん・・面白いですか?


 神無月さん最高!

陽水ボイスでお読みください(笑)

まぁ、当ブログ本来のテーマである
UZIの話題でもありますし、ここは開き直って
自分語りを続けさせていただきますね。

さて、シリコンを使って
複製用の型を作ることになったわけですが、
ドクターあみーご氏もおっしゃっていたように、
この頃はシリコンゴムでの複製は
それほど一般的なものではなく、
必要な材料もかなり高価で、
なかなかに手の出しにくい技法でした。



この企画で使用した東芝シリコーン製の
高強度シリコンゴムなどは
1kg9500円という驚くべき価格で、
とても素人に手の出せる代物ではなかったのです。

では何故当時の私がそんな技術を持っていたかというと、
趣味の模型作りにおいて、もうちょっと安目の
引裂き強度の低いシリコンゴムを使って、
自作パーツ(具体的にはザクのスパイクシールドや
VF-1バルキリーのノーズ)の複製を
細々と試していたからなんですね。

そのため、UZIのボルトのような大物の複製は
まったくの未経験で、高価な高強度シリコンを使うのも
この企画が初めてのことでした。
会社の経費だったとはいえ、
大胆なことをやらかしたもんです(汗)



ご紹介している画像のページが前後しておりますが、
今になって振り返れば、こんないい加減な手法で
よくもあの複雑な型取りを成功させたものだと、
我ながら呆れるやら関心するやら・・・(汗)

実際この時、粘土で作った最初の型の外壁が
流し込んだシリコンゴムの重みに耐え切れずに決壊し、
高価なシリコンがでろーんと流出。
ケンの部屋の絨毯を台無しにしてしまいました。

「ああ・・ゴメン、絨毯に付いたシリコンはもう取れないな・・」

そう言って謝る私に、

「いや、絨毯は全然かまわないけど、締め切りが・・・」

見るも無残に失敗したシリコン型を前に
呆然と立ち尽くすケンの姿は、
今思い出しても笑・・いや、笑っちゃイカンですな(汗)



その後、高価なシリコンを再び購入。
外壁の固定方法を見直して新たに型を作りなおし、
なんとかボルトの複製品は出来上がりました。

ただ前述しました通り、
極めていい加減な方法で型を製作したため、
抜き上がった複製品はかなり形が歪んでおり、
UZIのレシーバーとの擦り合わせに
一晩の徹夜作業を要することとなります。

掲載誌の発売日から逆算すると、
ボルトを作ったのは2月の後半あたりだったでしょうか。

レポートではさらりと作ったように書かれていますが、
部屋の中でもコートが必要なほど寒い、
暖房器具がコタツしか無かったケンの安アパートで、
夜中にガタガタ震えながらひたすら擦り合わせを行い、
ほとんど泣きながら完成させたというのが実情でした(涙)



と、涙なくしては語れない話しが続いていますが、
この先を書き進めていたところ、
完成した軽量ボルトの実際の動作についての話しが
これまたけっこうな長さになることに気付きました。

どうしてこう簡潔な文章が書けないものかと
毎度ながら自己嫌悪に陥ってしまうのですが・・
ホント、大変申し訳ございません。
この話し、もう1回だけ続けさせていただきます。

次回こそ、今度こそ本当に完結させますので、
もう一晩だけお付き合いのほど、
何卒よろしくお願いいたしますです。

なんだか下手な口説き文句みたいだなぁ・・(汗)  

Posted by カズヤ at 21:42Comments(4)業界裏話

2012年01月14日

80年代トイガン業界裏話 その1

本日はシューティングマッチとの因縁話を離れ、
ちょいと寄り道させていただきます。

エアガンシューターなら知らぬ者はいない
かのフリーダム・アート主宰ドクターあみーご氏のブログ
フリーダム・アート通信にて当ブログを大きく取り上げていただいたことで、
ここ数日PV数が急上昇しております。


 ドクターあみーご激射!

この状況にちょっと戸惑っているのが
正直なところなのですが、
せっかく閲覧に訪れてくださった皆様に
少しでもお楽しみいただけるような
記事作りを目指して頑張りますので、
今後も当ブログを何卒よろしくお願いいたします。

さて今回のお題なのですが、
フリーダム・アート通信にてドクターが
特に印象に残っていると書いてくださった、

「マルシンのモデルガンUZIのボルトを軽量化の為に
シリコンで型取りして樹脂で複製する話」

その記事を書いた当時の、
ちょっとした裏話をご披露したいと思います。

シューティングマッチの因縁とは
ほとんど関係ない話しになりますが、
前回書いた古本屋さんへの注文も
先ほど在庫を確保した旨の通知が来ましたので、
ブツが届くまでの間つなぎの意味も含めて、
お付き合いいただければ幸いであります。



上の画像はコンバットマガジン1985年6月号の表紙。
この号は第1特集がタローさんによる
UZIカービンの実銃レポートでした。



そして、衝撃の見開きページから始まる
第62回モデルガンテストレポート。



夜明け前の新宿副都心にて撮影された
K氏渾身のイメージカットは、
今見ても鳥肌もののカッコ良さですねー。



漆黒のライダースジャケットに身を包み
ターミネーターを演じた長身のモデルは、
断末魔三兄弟の長兄こと多輪葉ヨシカズ。

残る二人は江呂場テツヤと比出無カズヤを
名乗っておりました(笑)

この号が発売されたのは、
かの傑作B級映画「ターミネーター」の
第1作目が公開されて間もない頃。

実際に記事を書いた時点では
まだ劇場公開はされていませんでしたが、
有名なUZI片手撃ちシーンのイメージは
公開前からマニアの間で話題になっていました。



発売されてからかなり時間が経っていた
マルシンさんの金属製モデルガンのUZIを
このタイミングで取り上げていたのは、
そういった時代背景があったからなんですね。



しかし、いかにターミネーター絡みとはいえ
通り一遍のレポートで済ますわけには行かないと、
K氏の・・まぁ、ここではケンでいいですな(笑)
彼の安アパートで企画会議が行われました。

このマルシンさんのUZIは、
プラグファイヤーカートリッジの採用により
金属製モデルガンとしては信じがたいほどに
快調なブローバックを実現させていたのですが・・


 これがプラグファイヤーカートリッジです

撃発の度に重い亜鉛のボルトで
チェンバーに叩き込まれる構造のため
高価なカートリッジの変形が避けられず、
なかなか気軽に撃てないという実情がありました。

「このボルトをなんとか軽く出来ればなぁ・・・」

分解して取り外したUZIのボルトを前に呟くケンに、

「シリコンで型を作って、ウレタン樹脂で複製すれば
 めちゃくちゃ軽くなると思うけど?」

と、何の気なしに言った私を唖然と見つめるケンの顔は
今思い出しても面白いですな(笑)

「・・・そんなことが出来るのか??・・・」

まさに信じられないといった面持ちのケン。

「まぁ、お金はかかるけど出来ると思うよ? やってみる?」

そんなやり取りから、
伝説のライトウェイトボルトの製作が始まりました。

と、いつものクセで長い話になっちゃいましたね(汗)
面白いと思ってくださる方は何人いらっしゃることか・・・

次回必ず完結させますのでこの話し、
もう1回だけお付き合いをお願いいたします。  

Posted by カズヤ at 23:02Comments(9)業界裏話

2012年01月13日

エアガンシューティングとの因縁 その3

本題に入る前にお詫びと訂正をさせていただきます。

前回記事の内容に、事実と異なる部分がありました。
つまりは私の記憶違いなのですが、
シューティングマッチが嫌いになったきっかけは、
第3回プラチナカップではありませんでした。

この大会はぐだぐだな進行ながら、
さほどの混乱もなく終了していましたね。
入場制限をかけたというのも間違いでした。

実は前回の文章を書きながらも、
コンバットマガジン記事中写真のスタッフの服装が、
私の記憶の中のそれと異なっていたのが
どうにもひっかかっていたのです。



そこで急遽実家に飛びまして(電車で2時間の距離ですが)、
家中ひっくり返して当時のCM誌を掘り出し、
記憶と事実の照合作業を行いました。

その結果、記憶から完全に抜け落ちていた事実が判明。



上画像が表紙のコンバットマガジン1986年5月号に、
第4回プラチナカップの開催告知を発見。



開催日時は昭和61年(1986年)4月13日。
開催場所は後楽園ホール5、6Fとなっていますね。



これを見たことで、
失われていた記憶がまざまざと蘇って来ました。

第3回プラチナカップの成功を受け、
本格的なイベントとして企画されたこの第4回大会は、
2フロアを借り切っての開催となり、
そのことがあの忌まわしい思い出に繋がるのでした。

さて、この告知記事の載った号は見つかったのですが、
肝心の大会レポートが掲載されているであろう
同年7~9月あたりのCM誌が、どういうわけか
どこをいくら探しても出てこないのです。

まるでその歴史を掘り起こされることを
拒否しているかのように・・・
というのはちと大げさに過ぎますが(笑)
曖昧な記憶に頼って、さらなる間違いを繰り返すのは
さすがに避けたいところ。

幸いネットで見つけた古本屋さんで
抜け落ちていたあたりのCM誌が売られており、
さっそく注文しましたので、それらが手元に届くまで
話しの続きは少々お待ちいただきたいと思います。

思わせぶりに引っ張っておきながら、
大変申し訳ない限りです・・・(汗)

代わりと言っては何ですが、
私、出二夢カズヤがコンバットマガジンに
初めて顔を出した記事をご紹介いたします。



1985年1月号。
実際には1984年の11月末に発売されたものですね。



この号のエアソフトガンテストレポートなのですが、
奇しくもミニウージーの記事なんですね。
やっぱりUZIとは何かの縁があるのでしょうか(笑)



この頃、当時CM誌の編集長だったフレッド氏が中心となり、
サバイバルゲームを日本で普及させるための
強烈なプロモーション活動が展開されていました。

ちょっと信じられない話かもしれませんが、
かの有名な芸能スクープ誌「FRIDAY」の創刊準備号に
サバイバルゲーム日本上陸なる記事が掲載されたのを始め、
民放各局のワイドショーやニュース番組で、
サバイバルゲームを紹介するフィルムが
立て続けに放映されたのです。

そのプロモーション活動のひとつとして、
あの「タモリ倶楽部」で2週にも渡り、
実際のゲームの様子も含めた映像が
たっぷり紹介されました。



いやぁ、タモさんが若いですな!

この号の記事はその時に撮影された写真を使って
構成されたものなのですが、
当時予備校生だった私もその場に呼ばれていたため、
ちゃっかり誌面に写っていたという次第です。



写真後列中央が当時の私ですね。
マルゼン製KG-9のポンプアクションカスタム、
通称「浪人スペシャル」を愛用していました。

この日のロケバスの中でK氏と意気投合し、
彼のアパートに出入りするようになったことから、
鉄砲業界にどっぷりハマリ込むことになります。

そしてK氏と行動をともにする中で、
シューティングマッチとの因縁に
否応無く巻き込まれて行くのですが、
この頃の私はそれを知る由もありませんでした・・・

といったところで、今回はここまで。
ちょっと趣旨から外れましたが、
お楽しみいただけたでしょうか。

ちなみに、実家に帰るついでに
赤羽射撃場に立ち寄りまして、
ガラスチューブ仕様のマルシン電動UZIの
命中精度テストもバッチリ行って来ました。



こちらも記事も忘れたわけではありませんので、
UZIファンの皆様は楽しみにお待ちくださいませ。  

Posted by カズヤ at 21:33Comments(2)シューティングマッチ

2012年01月11日

エアガンシューティングとの因縁 その2

フリーダム・アート通信のリンクを辿って
ご来訪くださった皆様、はじめまして!

46歳にもなって突然シューティングマッチを始めた
ポンコツシューター出二夢(でにむ)カズヤが
お送りしております当ブログ。

普段はかの名銃、UZI(ウージー)のエアガンを中心に
他では読めない記事作りを目指しているのですが、
昨年末に横浜PCMで開催された
Yokohama PMC 11thに参加したことを機に、
素人目線の参戦記を書かせていただいております。

こうしてご来訪くださったのも何かの縁。
今後も時々覗きに来ていただけたら幸いでありますです。

ところで前回の記事を書いている最中、
こんな昔話など公開したところで誰も喜んではくれないだろうと
本気で考えていたのですが、更新してみてビックリ仰天。

かつて無いほどの勢いでアクセス数が伸びて行き、
これも過去最高数になる暖かいコメントを
頂戴することが出来ました。

まったく想像していなかった事態に
心底驚いているような状況なのですが、
いやはや、市場のニーズを正確に掴むというのは
実に難しいことであるものですね。

しかしあんなに真面目に取り組んでいる
UZIのレポートよりも、単なる思い出話の方が
遥かに多くのアクセスをいただけるというのは、
なんとも複雑な心境だったり・・・(汗)

と、長い前置きはいい加減これくらいにして、
前回の続きを進めて行きましょう。



上の画像はコンバットマガジン1985年11月号の表紙ですが、
前回の最後にご覧いただいた第3回プラチナカップの記事は、
この号に掲載されたものでした。



本項の趣旨とはほとんど関係ありませんが、
右ページ中段、マルシンさんのモデルガンのUZIで
ライトウェイトボルトを使ったフルオート射撃を
実演しているのは、若き日の私でございます。
この頃からUZIひと筋でしたからねぇ、ウフーフ!

しかし我ながらこの頃は細かった!
今より20kgは体重が軽く、体力は10倍以上、
髪の毛も今の100倍は生えていましたもんね・・(涙)

・・話しを戻して、第3回プラチナカップ。

事前の告知をどの程度打ったものか
現在手元にある資料ではわからないのですが、
1985年8月24日のイベント当日は、
後楽園ホールの会場から文字通り
人が溢れるほどの来客数となりました。

手元の記事には「出場者数は約100名」
と書かれていますが、おそらくこれは
純粋にマッチに参加した人数でしょう。



私の記憶が定かであれば、
見物に訪れた方の数を合わせたら、
ざっと2~300人は集まっていたと思います。

何しろ、決して狭くはない後楽園ホールの会場から
廊下や階段にまで人が溢れ出し、
一時は入場制限をかけたような状況でしたからね。

ちなみに、今は無きMGCの主催による
かの有名なジャパンビアンキカップの、
エアガンコースを導入した第2回大会が
同じ1985年の11月開催でしたから、
この第3回プラチナカップは、
事実上国内初の、エアガンを使った本格的な
シューティングマッチだったと言えるでしょう。

箱出しのグルーピングは5mで30cmにもなり、
1発撃つたびにスライドを押し込んで
ピストンスプリングを圧縮するという、
まだオモチャの鉄砲の域を出ていなかった
コッキング式エアガンでの「的当て大会」。

これをシューティングマッチとして
強引に成立させてしまった観は否めないものの、
興奮のうちに進められたマッチの入賞者も決まり、
協賛各社から提供された多くの商品が配られ、
K氏の純粋な熱意から企画された
第3回プラチナカップは、ひとまずの成功を収めました。

そして当時の私、比出無カズヤはこの日を境に、
シューティングマッチに関する全ての事が
心の底から嫌いになったのです。


話しは次回に続きます。  

Posted by カズヤ at 20:55Comments(3)シューティングマッチ

2012年01月09日

エアガンシューティングとの因縁 その1

昨年末から始めたシューティングマッチ関連の話しが
かなりのアクセス数に上り、喜び戸惑っていた中、
かのフリーダムアート主宰のドクターあみーご氏から
記事へのリンクのお申し出まで頂戴してしまいました。

シューターとしてはヨチヨチ歩きもいいところの
完全なる初心者に過ぎない私ですが、
実はエアガンシューティングについては、
ちょっとばかり深い因縁があるのです。

マッチ関連の記事に興味を持たれて、
新たに訪問してくださった皆様への自己紹介も兼ねて、
今回はその因縁話を語らせていただきましょう。

話しは1985年に遡ります。

当時私は19才の予備校生。
本来ならば勉強に勤しんでいるべき立場ながら、
頭の中はサバイバルゲームのことで一杯でした(笑)



上は当時のコンバットマガジンですが、
この1985年4月号に、ある記事が掲載されたのです。



第2回プラチナカップの開催レポート。
この記事をお読みの方で、
当時この場所にいたという方はおられるでしょうか。

1985年が明けたばかりの1月6日に
東小金井駅からほど近い空き地で開催された、
エアーガンによるシューティングマッチ。
その日は50名ほどの参加者が集まりました。

勿論、当時はまだセミオートガスガンなど影も形も無く、
3m先の紙コップに当てることさえ困難という性能の
コッキング式エアーガンのみを使ってのマッチでした。

主催したのは、当時コンバットマガジンで
メインリポーターを務めていた・・・
ここではK氏としておきましょうか。

”現在(1985年当時)のエアガン業界は
ハードばかりが進化していて、
ソフト面がないがしろにされている。
エアガンを使った遊び方、つまりソフトの面を
もっと強化しないと、先細りになるのは間違いない”

そういった業界人としての考え方に加え、
彼がアメリカで目の当たりにして来た
シューティングというスポーツの素晴らしさを
なんとかして日本に広めたいという熱意から、
プラチナカップというシューティングマッチが企画され、
その第2回大会にスタッフとして参加したのが、
私のエアガンシューティングとの因縁の始まりでした。

この第2回プラチナカップは
当時販売されていたエアガンの性能的問題に加え、
不慣れな主催側の手際の悪さもあり、
正直言ってまともなマッチの体を成してはいませんでした。

しかし、当時サバイバルゲーム一色だった
エアガン業界にあって、
小規模ながらこういったイベントを
とにもかくにも成立させたという事実は、
かなり意義深いものだったと言えるでしょう。

ちなみにこの号のコンバットマガジンには、
私の雑誌ライターとしてのデビュー記事も載っていました。



写真左が当時の私ですが・・
どうだい? バカみたいだろう??(笑)

実際、今のコンバットマガジンの紙面作りからは
ちょっと考えられない写真ですよね(笑)

これは当時、新宿歌舞伎町に店を構えていた
東京銃砲さんとのタイアップ企画で、
クロスボウの紹介記事を隔月連載していた物です。



「東京銃砲」でググッてみると、
Tokyo Juhoというお店が見つかりますが、
こちらはあの東京銃砲さんなのでしょうか。
当時お世話になったお礼をしたいものですが・・。

と、話しが逸れましたが、
第2回プラチナカップのとりあえずの成功により
自信を深めたK氏は、さらなる大きなイベントを企画。

CM誌メインライターという立場を最大限に利用し、
主要メーカーや雑誌社の協賛を取り付け、
なんとその年のうちに後楽園ホールを借り切った
第3回プラチナカップの開催を実現してしまったのです。



といったところで、今回はここまで。
あまり面白くない記事で申し訳ありませんが、
因縁話しは次回に続きます。

ところでまったくどうでもいい話で恐縮なのですが、
今年から私、出二無カズヤの名前をひと文字変えて、
”出二夢カズヤ”とさせていただきました。

「出二無」だと、姓名判断的に最悪の画数なのですが、
無を夢にするだけで文句なしの良い名前になるんですよね。

占いの類など日頃まったく信じない性質ですが、
今年はちょっと期するところがありまして、
常に名乗って行く名前の文字から見直してみた次第です。

読み方は変わらず”でにむかずや”で参りますので、
今後とも変わらぬご愛顧のほどを、
何卒よろしくお願いいたしますです。  

Posted by カズヤ at 20:29Comments(13)シューティングマッチ

2012年01月06日

横浜PMC11thでの使用銃 その4



正月休みも終了と思いきや、
世間では明日から3連休なんですね。

残念ながら私は行けないのですが、
ブラック&ホワイトホールに出かけられる方は
過剰な散財にご注意くださいませ(笑)

さてさて、前回の続きを進めましょう。
ハイキャパベースの自家製ダットガン、
今回はスライド周りのご紹介です。



先にご紹介したアイアンサイトの5.1同様、
インナーバレル先端を押さえる工作を行っているのですが、
こちらの銃はマッチガンらしく6インチにしたかったため、
PDI 01 INNER BARREL FOR 東京マルイ
HI-CAPA5.1用 6インチ(137mm)
」を入手。
それに合わせてコンペンセイター風のパーツ
(面倒なので、以下コンプと呼びます)も
長めの物を製作しました。





ちなみに、チェンバーパッキンは
FIREFLY製の「電気くらげ甘口」に変更しています。

このコンプ、インナーバレルの長さに合わせるために
5.1を2本と、4.3を1本と、計3本のスライドをつぶしています。



上画像のように切断したスライド先端部を・・



自作マウントのために購入したアルミアングル材の
余りを利用してズレないように面を合わせ、
最強造形補修材のプラリペアでガッチリ接着。
硬化後、繋ぎ目が目立たないよう仕上げました。



5.1の時に書き忘れましたが、
コンプ前面に見えるアウターバレルと
リコイルスプリングガイドは、
それぞれ先端を10mm位カットした物を
瞬間接着剤でガッチリ固定しています。



アウターバレル先端部は
スライド内側とのガタを消すため、
短冊状に切ったコピー用紙を巻きつけ、
粘度の低い(水のようにサラサラした)
瞬間接着剤を染み込ませて固めました。

衝撃に弱い瞬間接着剤ですが、
この方法で固めてしまえば
実用上何の問題もありません。



ひとまず完成したこのコンプ。
当初は上画像のように黒いままだったのですが、
スライドとの統一感を出すため
ちょいと近所の100円ショップに走り、
下画像の台所用アルミシートを買って来ました。





この大きさでたったの100円、安過ぎですな(笑)

このシートをスライド側面の形に切り出し・・



裏紙を剥がしてぺタリと貼り付け、
余分を切って出来上がりです。





どうだい? 凄く簡単だろう??(笑)



ただ、このままではピカピカに過ぎるので、
3M製スポンジ研磨材のスーパーファインにて
ザッとひと磨きし、ヘアラインを加えてやりました。

画像ではまったくわかりませんが、
スライドのメッキ面と光沢が揃って
良い感じに仕上がっております。



使って行くうちに痛んで来ると思いますが、
その時はぺロッと剥がして貼り直せばオッケー。
何せ100回は貼り直せるだけのシートが残っていますからね(笑)



スライド本体は前回書いたように
デュアルステンレスの物を使っているのですが、
C-moerサイトを少しでも低くマウントするため
スライド上面を画像のように削り落としています。

ちなみに、フロントサイトがハマるアリ溝は
適当に切り出したABS板で埋めました。



リアサイト周りも、コンプ製作のためにつぶした
5.1のスライドから上面部分を切り出し、
上画像のように埋めております。
かなーり適当な工作なのがバレバレですな(汗)

尚、C-moerサイトが邪魔になってスライドが引き難いため、
スライド後端の両側面にマグプルの滑り止めシートを貼りました。
これも先述のマイケル・ヴォイトカスタムの真似ですね。

グリップについては前出の5.1と同様、
タラン・バトラーカスタム風の加工を施していますが、
後から作った分、こちらの方が
若干細く仕上がっているような気がします。



PMCでは競技上素早いマグチェンジの必要が無いので、
重くてかさ張るマグウェルは無駄でしかない・・
そんな風に考えていた時期が(以下略)



いや、実際の話、
付いていた方がそれっぽいからといった程度の認識で
安物を購入して取り付けてみたのですが、
これがあると無いとではグリップの安定性が
まったく違うことがわかりました。

少なくとも、ドロウの際に
グリップの下の方を掴んでしまう危険性が
格段に減少するのは明らかですからね。

近く5.1の方にも、もうちょっと小振りな
マグウェルを取り付けようと思っております。

以上、駆け足ではありましたが、
シューティングマッチへの取り組みを決意した私が
現段階での知識と経験を総動員して作り上げた
ハイキャパカスタムのご紹介を終わります。

いかんせん結果を出せていないので、
これらのカスタムが有効なものであるのかどうか、
そのあたりは評価のしようが無いのですが、
今後マッチで使って行くことで
改良点も見えて来るかもしれませんからね。

この状態を出発点として、
最高のマッチカスタムの完成を目指します!



さて次回についてですが、
初めてのプレートマッチ参戦で素人なりに気付いた点を
忘れないうちに記してみようと考えております。

恵まれない環境での練習方法などについても
書いてみたいと思いますので、
今しばらくのお付き合いをお願いいたします。

勿論、マルシン電動UZIについても
水面下でのネタ作りを怠っておりませんので、
UZIファンの皆様もちょっとだけ楽しみにしていてくださいね。  

Posted by カズヤ at 22:02Comments(8)シューティングマッチ

2012年01月04日

横浜PMC11thでの使用銃 その3

三が日もあっという間に過ぎ去ったところで、
今年1発目の本格的更新です。

私のような素人シューターの書く記事にも関わらず、
多くの方にご覧いただけているというのは
有り難いやら恐ろしいやら、ちょっと複雑な心境ですが、
初心者の皆様と一緒に成長して行けるような内容の記事を
作って行ければと考えております。

さて今回は昨年末の予告通り、
横浜PMC11thのオープンクラスで使用した
自家製ダットガンのご紹介です。





ご覧の通り、東京マルイ製のハイキャパ
デュアルステンレスをベースとしているのですが、
そもそもは純正の5.1をベースに
ヤフオクで買い集めたパーツを組んで行くうち、
気が付いたらこの形になっていたという
結果オーライなカスタムです(汗)

なんといっても目を引くのが
C-moreサイトを横置きにした変なマウント。





これは、SATマガジン2010年11月号に掲載された
HIROさんによるマイケル・ヴォイト氏の記事。

そこで紹介されていたSTI Michael Voigt Customに
強い衝撃を受けて製作したものです。

記事で紹介されていたSTIには、下画像のマウント



Quinn II Horizontal C-more STI/Tanfoglio Mountによって
C-moreサイトが取り付けられていたのですが、
そう簡単に同じものは入手出来そうになかった
(現在はWEB-SHOP G.W.Aさんにて同種の物が取り扱い中)
ため、いつもの如く自作の方向を模索しました。

しかしマウントを自作するにしても、
肝心のドットサイトが無ければ話が始まりません。

C-moreサイトを使うことは決めていたので
良いレプリカは無いかと調べてみたところ、
RD DYNAMICSの製品が実物に引けを取らない
品質だという情報を見つけました。

価格が15000円程度とレプリカにしては高価だったのですが、
本気の競技に使うなら必要な出費と考え、
えいやっとばかり購入しました。



C-moreのレイルウェイタイプという物ですね。

この記事を書くにあたって調べてみたところ、
円高の影響もあってか、いくつかのショップが
現在では13000円前後で販売しているようです。

サイトの良し悪しを論ずるほどの腕でもありませんが、
レンズのクリアーさ、ドットのシャープさと明るさ等、
少なくとも現在所有している他のレプリカドットサイトとは
格段に品質が違うということは断言出来ますね。

エレベーションの調製がまともに出来なかった
ノーブランドのM2タイプ(葉隠マッチで使用)や、
室内で構えるとレンズに自分の顔が映って標的が見えない
やはりノーブランドのホロサイトレプリカ等とは
比べ物にならない作りの良さを実感しています。

と、品質の高いC-moreを入手したところで、
これを横置きにマウントしたら
横一列に並んだプレートを撃つ時に
けっこう邪魔になるんじゃないかと考え、
下画像のような実験をしてみました。





実物大のシルエットに切り出した紙を
別個体のハイキャパに貼り付け、
ドローからエイミングの動作を繰り返して
狙いやすさを検証してみたのです。

どうだい? 図画工作みたいだろう?
ヒュー!!(くまだまさし風に/笑)

また、紙を貼り付ける場所を前後に動かし、
C-moreのレンズがどの位置にあるのが
もっとも狙い易いのかも同時に調べました。

結果、特に問題は感じない・・・と言うより、
MGCのエースポイントを載せた初代93R以来
ダットガンを使っていない私には、
このマウント方法に違和感を覚えるまでの
感性が備わっていないことがわかりました(汗)

狙いやすそうなレンズの位置も決定したので、
ならば後は手を動かすのみ。
大体の図面を引いて型紙として
東急ハンズで購入した2mm厚のアルミアングル材を
ノコギリで切り出し、ヤスリで形を整え、
C-moreサイトの横置きによる
究極のローマウントを造り上げました。









2mmというマウント本体の厚みには
若干不安があったのですが、
実銃のようなリコイルがあるわけでもなく、
軽量なC-moreサイトを支えるには
充分な強度があったようで、
少なくとも今のところは何の不具合もありません。

手作り感丸出しで見てくれは何ともショボイ限りですが、
横浜PMC11thを撃った感触は非常に良いものだったので、
当分はこのマウントを取り付けたハイキャパで
腕を磨いて行こうと考えております。

といったところで、今回はここまで。

新年1発目の更新ということで気合が入り、
ちょいと長い記事になってしまいましたね(笑)

自家製ダットガンのご紹介、
もうちょっとだけ続きますので、
お付き合いのほど、何卒お願いいたしますです。  

Posted by カズヤ at 00:01Comments(2)シューティングマッチ

2012年01月01日

新年のご挨拶



いつも当ブログをご覧いただき、真にありがとうございます。
当方喪中につき、新年のご挨拶は控えめとさせていただきますが、
この2012年もUZIを中心に役立つ記事をアップして行きたいと考えております。

また、シューティングマッチにも本腰を入れて挑戦し、
その模様も詳しくお届けいたしますので、
本年も変わらぬご愛顧のほどを何卒お願いいたします。

余談ですが、大晦日は友人のハイキャパのグリップ加工を仕上げ、
元旦は自分のハイキャパのメンテナンスをして過ごしました。
弾が出なかった原因、今ひとつわからないのが困ったものです(汗)





以上、簡単ではありますが、新年のご挨拶まで。

次回更新は1月3日深夜の予定です。

  

Posted by カズヤ at 17:56Comments(5)雑記